人生って脚立、この歳になってわかったこと。
家人「人の一生って、脚立のようなものね」
私「なんだい、そりゃあ」
家人「若さがあって元気に登れる、絶頂期がある
やがて下り坂になる」
私「脚立だとすると、上りも下りも急激だなあ
それは芸能人だね」
家人「人気が出て売れっ子になって、あとは
下り坂ですか」
私「富士山にたとえたらどうだい」
家人「なだらかな登りで下りもなだらか」
私「その方が美しいよ」
***
私「何で急に脚立論なの」
家人「あんたももうすぐ81才でしょう」
私「ああ、それで」
家人「この歳になってわかったことがあります」
私「ああ良くある、たいてい体のこととか病気の
こととかだなあ」
家人「友達の皆が今になってわかったと言います」
私「後悔先に立たずと言うのかね」
家人「80才を過ぎるとこうなりますと、誰も
教えてくれませんねえ」
私「本とかネットニュースに出ているだろうけど
気が付かないか、わかっちゃいるけど無視する」
家人「自分はそうじゃないと思うのね」
私「それでな、病気になって急にこの歳に
なったら分かったと観念する」
結局、歳と共に衰えて来る。
老化ってものを認めたくない。
顔をそむける。
本当は絶頂期の時にわかっていると
後悔しない。
***
待てよ。
このことは、国自体がそんなことではないか。
もう、下り坂に入り込んでいる。
それを政治家たちは、コロナや異常気象、
パラリンピックなどが終わった後に
今、わかったよと言うのではないか。
下り坂の中で適格にリードしてくれるだろうか。
では、またあした。
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