今「しまった」と思っている。
おはようございます。
久留米のじじいであります。
小説は、よく読んだと思う。
テレビは、ドラマやドキュメントをよく見た。
その中には、素晴らしい出来のものがあった。
感激、感銘したものもあった。
そこが「しまった」なんだよ。
「どこが面白かった」
「なぜ面白かったか」
これを書き残さなかったことが
「しまった」と思っている。
今日までの人生で、これを書き表すと言う
習慣が身につかなかった。
身についていたら、ブログネタに
困ることはなかった。
そこが残念でたまらない。
***
小学校の先生は、作文を書きなさいと言った。
「どこが面白い」とか「なぜ面白かったか」とか
考えもしなかった。
考える力もなかった。
勉強と言うものは、そこらへんを
教えてくれるのだろうが、学び取ることが
出来なかった。
今ごろ、先生が悪かったと言っても
もう先生は天国の住民だ。
だから、今「しまった」と思っている。
***
会社に入ったら入ったで、文書たるものは
パクリにパクった。
かって書かれた似たような文書を探した。
この仕事は、おおかたあの先輩が昔担当した
筈だと当たりをつける。
古い文書は、地下の倉庫に保存されていた。
そのことを頼りに探した。
100中100発とまでは行かないが8割は
これでしのいだ。
時代が変わり、パソコン時代になってこの
やり方が復活した。
それを、コピペと呼んでいる。
なるほどね、道具が変わっただけで
似たようなことをやっているんだ。
感慨深いよ。
人は根本的なことは、変わらないようだ。
***
ブログも同じことが言えないか。
あの人のブログは
「どこが面白かったか」
「なぜ面白かったか」
深く掘り下げてみる。
そう言う理解の仕方がわかってくれば
自分のブログに
「こんな面白い」ことがあってね。
「こんなことで面白いんだよ」が表現できる。
***
普通に暮らしている中では、これは面白い
アハハと笑ってお終いになる。
「なぜ面白かったか」までは突っ込まない。
必ず、背後に控えているものがある。
歌舞伎の黒子みたいに。
この動きを捕まえることが大切ではないか。
そうは思うものの、80才の手習いでは
どうにもならん。
今年に寒い時期に仕込んだ味噌が
うまく出来たら、脳みそをこれと
入れ替えんといかんようだ。
○○は老いやすく学成りがたしであるなあ。
○○は言葉が出てこなかった。
あとで調べたら、少年だった。
***
メモ帳には、物事の背景をメモすること
と書かいた。
これで、自分を納得させた。
これで、大丈夫と言えるかどうかもわからん。
ブログって、むづかしいものだ。
では、また明日。
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