そうかあ、ワシがメモ帳かあ。
お早うございます。
久留米のじじいであります。
つい最近、演歌の歌詞をブラインドタッチで
入れることに取り組んだ。
80才の手習いと思ったが、早々に頓挫した。
考えながらパソコンやスマホで直接
入力する人は多いと思う。
ワシもそんなになりたかった。
しかし、思考の回路は人それぞれで
決まっている。
必ずしも同じではない。
そんな風に考えると、とたんにやる気を
なくした。
「時すでに遅し」であるのだ。
で、元のメモ帳スタイルに戻った。
何の抵抗もなく。
***
思いついた言葉とか、短い文とかを
メモしている。
その新しいメモ帳の購入を娘に頼んだ。
娘「これだろう、これが良いよ」
いつものキャンパスノートの手帳では
なかった。
私「これ、少し違うが、これで良いよ」
娘「キャンパスノートは貧乏くさい
これだと少しは高級に見える」
なるほど、表紙が厚い、スプリングが
付いている。
娘「病院の待合室や、車の中でメモを
しているよね、少しは良く見えるよ」
私「お気遣いありがとう、感謝だ」
***
今はコロナ騒ぎで、病院の通院以外は
ほとんど他所に行かない。
家人の買い物の運搬役も控えている。
ワシの病は、気管支と肺だからコロナには
直結しているようなものだ。
担当の先生、訪問看護の人たち、ケアマネージャーに
風邪、インフルエンザ、コロナの予防に
頑張って下さいと、言われている。
ワシのためである。
それだけではない、ワシを担当している人の
ためでもある。
ワシが感染すれば、その人たちは手落ちだと
言われかねない。
自分のため。
家族のため。
それから、お世話になっている人のため。
コロナにかからないこと。
***
話しが違った。
進路修正。
メモ帳のことだった。
メモ帳がちょっぴり高級になった。
しかし、書く内容は特段変わらない。
頭の中にチラッと浮かんだ言葉を
忘れないように書いている。
その他には、欲しいものややらないと
いけないものを書いている。
年寄りは忘れることが早いし多い。
馬耳東風とか言うなあ。
ワシの場合は忘れる風が流れているようだ。
最近はこのメモ帳が、家人のお手伝いを
している。
家人「あんた、これを切らしたので
メモをして下さい」
その夕方か、あるいは数日後に
家人「あんた、切らしたものは
何でしたかねえ」
その時には、メモが役に立つ。
私「あれと、これとだよ」
家人「紙に書いて下さい、持って行きます」
私「あんたもメモ帳が要るよ」
家人「要りませんよ、メモ帳を持っても
それを忘れます、それよりあんたの
メモ帳が確実です」
私「そうかあ、ワシがメモ帳だな」
老老暮らしには、メモ帳が必需品である。
年寄り用のメモ帳って出来ないだろうか。
では、また明日。
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