老老夫婦の暮らしは、面白いに決まっちょる。

暮らしのこと,花や庭木,感じたこと,雑文ブログ。

男性の自立、厨房に入るべし。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 

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 大根餅の大根は、8センチを使った。

 

 

家人「賛成だよ、諸手をあげて賛成するよ」

 

 

家人は高齢者と言う枠に入る前までの

台所は自分のテリトリー(縄張り)だと

主張していた。

 

 

ワシが皿洗いなど、手伝おうとして怒られた

事もあるぐらいだ。

 

 

縄張りなんて物騒な言葉を、使いたくなかった。

 

 

たまたま、もうそろそろミカン食堂を開こうかと

話しをしてる時に、ヒヨドリメジロがミカンの

奪い合いをする。

 

 

そこでテリトリーと言う言葉を使った。

これを思い出した。

 

 

で、テリトリーと書いた。

少しは、上品になったと思う。

 

 

***

ああ、台所に話しだ。

お互いに80才を越した。

 

 

それぞれに、体のどこかの調子が悪い。

時々ではない。

常時と言うほどだ。

 

 

そうなってくると、台所のテリトリーどころ

ではなくなる。

 

 

家人「どちらが先かはわからないがね、私が

寝たっきりになったり、施設に入ったりすれば

食べるにも事を欠くようになるね」

 

 

私「そりゃ、まあそうだな」

 

 

家人「掃除、洗濯は出来なくても死にはせんが

食べるのが出来ないと、あの世に直行する」

 

 

私が電気圧力鍋を手に入れることに

賛成だったことは、ここら辺の事情を

見通していたのだろう。

 

 

歩行器でスーパーに行くことも、歩けるように

なっただけでなく、買い物に1人で

行けることの期待でもあろう。

 

 

いずれにしろ、どちらかが1人になる。

 

 

平均年齢からすると、私、男性の方がずっと

不利である。

しかし、先にあの世に行けたほうが

有利なのかもしれん。

 

 

***

今は、時々なのだが台所に立って簡単な

料理を作ることが、意外と楽しい。

 

 

これも家人と言う相棒が居て、話しを

しながら作り、話しをしながら食べる

からである。

 

 

老老の暮らしは、この会話で

成り立っている。

 

何気ない話が、その場を作っている。

とぎれとぎれの会話が、その日を

作り上げている。

 

 

話しの内容は、あきれるほどの雑談である。

 

 

今、先ほどもホーレン草を食べておくれと

ビニールの袋いっぱいをいただいた。

 

 

家人は、きれいに洗らいながら、もう寒が

来たからきっと甘みがある。

半分は、向かいのTさんに持っていくよ。

 

 

そんな話だ。

ワシは、適当に相づちを打った。

 

 

家人「ねえ、聞いたかい」帰って来て

そう言う。

私「なにがよ」

 

 

家人「Aさんの御主人、両目ともに緑内障

ひどくなって歩けないそうだよ」

 

 

私「それでか、この間家の外でおくさんの

肩につかまって立っていたよ、ずいぶん

ひどいんだな」

 

 

家人「私たちは、ヨロヨロだけど

歩けるだけマシだよ」

 

 

***

私「昨日、大根を買ったよな」

家人「半分売りを買ったよ」

 

 

私「大根餅、2人前を作る」

家人「昼は大根餅だね、嬉しいよ」

 

 

老老2人とも、食欲が少なくなった。

前に書いた大根餅のレシピを作りながら

修正をすることにした。

 

 

それから、つけ汁のたれのバリエーションも

増やしたいものだ。

 

 

では、また明日。

 

 

ポチッとをいただくと

大根餅もうまく出来ます。 

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