封切りの映画館と喫茶店。
おはようございます。
久留米のじじいであります。
私「昭和の時代なんだが・・・」
家人「また、昔の話しですか」
私「映画館と喫茶店は対だったような気がする」
家人「そう言えば映画を見た帰りは
必ず立ち寄ったですね」
私「見た映画の余韻が残っていた」
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映画はほとんど洋画を見ていた。
日本の映画は、時々で話題になったものを見た。
「封切りの映画」ってわかりますかねえ。
新作の映画のフィルムが来ると、映画館のスクリーンに
映写する技師が、フイルムの缶の封を切って開けた。
この封が「まだ誰も見ていない新作」の証明だった。
封切りの映画を上映するのは一流の映画館。
評判になった、封切りの映画は当然観客が多い。
早めに言って並んだ。
満席になって、遅れた人は立ち見になった。
運が良いと、通路の階段に映画館のチラシを敷いて
座って見たこともある。
それでも、幸運がついていない時は、立ち見。
若かったから、それでも見に行った。
今思うと2時間近く立ちっぱなしで
よくぞ映画を見たものだ。
あの頃は、元気だったと思う。
***
映画の技術は、進んでいった。
白と黒の映画が、総天然色の映画になった。
舞台の上のスクリーンが、横長の
シネマスコープになった。
これで見る西部劇のインディアンと戦う場面や
戦争映画の銃撃戦の場面は、相当の迫力だった。
音響もフイルムのサウンドが左右になり
立体的な響きになった。
これでまた、迫力が増大した。
この、封切り映画の話題作を、見逃した時は
二流の映画館で、上映されるのを心待ちにした。
当時、封切りの映画を上映するのが、一流館で
その後、数カ月から半年ほど遅れて同じものを
上映するのが二流館。
その他にも、三流館があった。
上映する映画は古い。
フィルムの傷が、雨ふりで写る。
映画は3本立て、昼映画館に入り3本が終わって
映画館を出る時は、薄暗い夕方だった。
時々、ここに見逃した昔の古い話題作が上映された。
3本立ての内、この1本だけを見たこともある。
50年を過ぎた今でも、封切館で見た「ウェストサイド
ストーリ」はクールと言う挿入歌とダンスが圧巻で
はっきりと覚えている。
***
東京オリンピックがあり、カラーテレビの時代になった。
興味は、映画からテレビに移った。
映画は、超話題作だけ見た。
やがて所帯を持ち、子供が誕生すると
映画館と言う場所は忘れ去られた。
子供が育ち映画館に行くのは、子供の映画。
それ以来、映画館に行ったことがない。
今、テレビでリバイバルの映画を見る。
家人「これはあの頃に見た、なつかしい」
私「あの時は、帰りにブルーシャトウに寄った」
家人「いいえ、コロンバンだった」
テレビのリバイバル映画を見るたびに
喫茶店の名前を間違える。
大昔のことだからねえ。
では、また明日。
ポチッとをいただくと
明日は、晴れるような
気がします。