老老夫婦の暮らしは、面白いに決まっちょる。

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暮らすには、意志がいるね。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 

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日本ガーベラが、咲いた。今年はずいぶん遅い。 

 

 

食べるために並ぶ、30分も40分も待つ。

 

 

 

たとえば、お昼、まわりに店の数がすくない。

その時は、仕方がない並ばざるを得ない。

 

 

 

これはまあ、例外だ。

 

 

 

私の住む町は、久留米ラーメンの発祥の地。

豚骨をベースとしたスープが命。

 

 

 

麺は細目で、ストレート。

ちぢれはない。

 

 

 

豚骨ベースの脂の多いものでは、ちぢれ麺に

すると、味がこってりになり過ぎる。

 

 

 

その店は、土日に行列が出来ていた。

 

 

 

列には、若者が多い。

元気のもとになるのだろう。

 

 

 

今は、何かうまいとか評判になると

ネットで、ただちに情報の拡散が始まる。

 

 

 

「ね、あの店のを食べた」

「うん、美味しかった」

 

 

 

この、やり取りがどんどん広がる。

 

 

 

すると、グルメニュースで紹介する。

 

 

 

もうこうなると、毎日が行列だ。

娘「夜も、すごい待ちだよ」

 

 

 

味がどうだこうだと言うのは、2の次で

みんなが食べているから、うまいのである。

 

 

 

評判が品質より先立っている。

 

 

 

今のネット社会になると、このブームを

起こすことで商売が、成り立っている。

 

 

 

誰かが良いと言い出したら、それは良いもの。

そんな、決定が下される。

 

 

 

本来、良いという範疇は、自分で決める。

 

 

 

それは、感覚の部分ではあるが、横並びに

ならないと取り残される。

 

 

 

そんな気分になる。

 

 

 

遅れてはいけない、そんな「あせり」

遅れていないか、そんな「心配」

 

 

 

テレビやネットの評判は、相手にしない。

 

 

 

人は人、自分は自分。

自分の感覚で確かめる。

 

 

 

うん、これはうまい。

うん、これは美しい。

そう言う喜びの意志を持つ。

 

 

 

たくわんの一切れも、自分の舌で味あう。

ただ食べるのではなくて、味あう。

 

 

 

娘「親父、知っているか、あのラーメン屋は

店じまいだ」

 

 

 

私「なに、あんなに行列が出来ていたのに」

娘「あきられたんだ」

 

 

 

いや、違う。

 

 

 

皆が自分の舌で、味あえるように

なったんだ。

 

 

 

暮らすと言うことは、他人の評価ではない。

自分の意志の確立だ。

 

 

 

自分で決めた、美味しいものが食べられる

店に行こう。

 

 

 

家人「あの店のラーメンは、食べたかったよ」

私「あーあ、やれやれだ」

 

 

 

では、また明日。

 

 

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