カボスの実がなるころ。
カボスは、大分の特産品の柑橘類で
酸っぱい果汁を味あう。
レモン、スダチ、ライムと同じ
使い方をする。
カボス今、採ってきました。
***
私「しかしなあ、サンマがこうも
高いと食べられんなあ」
家人「この間のニュースでは今年は
獲れるようになると言ってましたがねえ
期待していましたよ」
いいや、ここでサンマの話しを
したいのじゃあない。
サンマを焼き、カボスのしぼり汁を
たらしてあの香りでサンマを
食いたかった。
それにお酒は焼酎のお湯割りで
これにもカボスのしぼり汁を
たっぷり入れて飲みたかった。
頭の中には、八代亜紀の歌で肴は
あぶったイカがいいのメロディが
チラリと浮かんだ。
***
川向こうのTさんは、老人会の旅行の
宴会で知り合いになった。
焼酎のお湯割りそれにカボスが好きな
仲間だった。
Tさん「あんた、焼酎のお湯割りは
飲みなさるか」
声をかけられた。
私「ビールより焼酎のお湯割りです」
嬉しそうな顔で
Tさん「おうおう、ワシも同じだ」
好みが一緒で話がはずんだ。
Tさんはもともと、大分の人であった。
流れ流れて、筑後のこの地に落ち着いた。
大工の技術は若いころ大分で10年ほど
修行した。
きつくてたまらんで飛び出してしまった。
そこで、焼酎のお湯割りを覚えた。
あの頃カボスは大分でも珍しかった。
話しのお返しにワシも話した。
***
会社に入った。
当時は日本酒で燗をつけた。
あの香りが体に合わなかった。
異動があって新しい上司は、大分日田の人で
焼酎が好きな人だった。
この人に救われたといっても良い。
7:3の焼酎のお湯割りは体に
合っていた。
そうこうするうちに福岡も焼酎好きが
多くなってきた。
酒店に焼酎がならび飲み屋さんでも
飲めるようになった。
カボスが流行りだしたのは、大分の知事
平松さんのおかげだと思う。
こんな焼酎歴を話している間。
Tさんは、ウンウンとうなずいていた。
宴会のお開きになる前、立ち上がる時
T「次回の旅行も一緒に行こう」
私「都合つけば行きますよ」
***
家でTさんのことを話した。
家人「奥さんは同級生だよ」
私「なんだそう言うことか」
家人「川向こうのきれいなお家だ」
私「知ってるあの家かカボスの木がある」
家人「あそこのカボスいつもたくさん
実をつけます」
私「レモンの木もある、ピンクの花が
咲いていた」
元気なころは、あそこの土手を毎日
走っていた。
春先はうちと同じで柑橘の香りが
漂って来た。
では、またあした。
ポチッとをいただくと
カボスも喜びます。