「メロンパン」の元祖は「まるあじ」
おはようございます。
久留米のじじいであります。
いつも楽しみにしているブログに京都の
メロンパンのことが書いてあった。
面白い。
メロンパンにしては、形も違う風変わりの
ものであった。
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そう言えば、こちらのほうにはメロンパンの
元祖たるものがある。
その名前は「まるあじ」
パンの 中は何も入っていない、皿は山崎パンの景品。
子供のころは、あじパンと呼んでいたと
思うがなにしろ、70年も前の事で
自信がない。
そのパンが「まるあじ」だった。
さらにメロンパンの元祖になった。
子供の頃の「まるあじ」は苦手なパンだった。
パンの外側がポロポロと崩れやすい。
これが、食卓やまわりに散らばる。
散らかさないように食べなさい。
毎度、お叱りを受けた。
この外側は、口に放り込むと今度は
上あごの壁に、ピタリと張り付く。
どうも食べにくい。
お茶を飲むが外れない。
いつも、アンパンのほうを選んだ。
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たぶん10年ほど前だが、市役所に行く
途中にメロンパン専門店が開店した。
その当時、メロンパンは流行していた。
店のショウケースには、白のメロンパンや
緑のメロンパンもあった。
私「メロンパンの店が出来たよ」
家人「メロンパンは、流行しているけどね
久留米はまるあじがあるから、売れるかねえ」
家人は、流行らないだろうと心配した。
なるほどその通りで1年ほどで店を閉めた。
みんなは、まるあじを好んでいた。
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このまるあじを作っていたのは、木村屋と言う
地元のパン屋さんである。
創業から90年と言った老舗である。
突然、店を閉めることになった。
当然、地元で愛されたまるあじも惜しまれて
姿を消した。
木村屋の事業は、福岡のフランソワが
引き継ぐことになった。
まるあじも引き継がれて、再び姿を見せた。
地元市民は喜んだ。
家人「よかったね」
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メロンパンとまるあじは、ここでは仲良く
共存している。
平和な暮らしをしている。
めでたし、めでたしである。
ポチッとをいただくと
喜びます。
では、また明日。