道は、迷った方が得をする。
おはようございます。
久留米のじじいであります。
カメムシ殿、あなたも道に迷ったのですか。
家人「毎日、同じところを歩いて飽きが
きませんか」
私「そんなことはないよ、続けないと体に
効かないからねえ」
そう言う返事をした。
どうも、答えになっていない。
老老の会話なんて、こんなもんだ。
***
毎朝、家のまわりを半時計方向に歩いている。
半時計方向なんて書いたが、この廻り方が
右回りかそれとも左回りかと、少し考えた。
たぶん左回りだろう。
子供のころから、右と左の判断が鈍いと言うか
両手を出して、右の手を見て判断の対象と
照らし合わせて右です。と言っていた。
会社に入っても、道の案内が人より遅れた。
右左を頭の中で両手と照らし合わせていた。
***
もっとも困ったのは、自動車運転教習所だった。
助手席の教官殿は、構内のコースで立て続けに
右、左と連発する。
判断が遅れる、コースを間違える。
それでも、仮免許のコースや路上のコースは
間違いなく運転した。
幾通りかのコースを必死で丸暗記した。
丸暗記の効果があって、1発で合格した。
車の運転は、ほとんど他人をのせることは
無くて、助かっていた。
家人はナビゲーションと言う機械だ。
***
家人から「迷いの名人」と言う称号を
いただいた。
「なーに、間違えたら引き返すだけだよ」
それで、目的のところには無事に到着した。
人生は、とにかく紆余曲折だからね。
家人は、地図を見るのが上手くなった。
その上に、女性は感が鋭い。
たぶんこっちだよ、が良く当たる。
おかげで、助かった。
四国八十八か所を車で無事に回れたのは
家人と言うカーナビケーションが
あったからだ。
***
車が無い今考えると、この迷った分だけ
儲けたような気がする。
自分たちは、余分な景色を見られた。
余分と言うが、それだけ多く見られて
儲けたんだと思っている。
転勤族で2年か3年すれば居住が変わった。
迷ったのではないが、会社のお金で少し長い
観光旅行をした。
そこの暮らしの中には、人情があった。
転勤なしの会社勤めでは、こんな味わいは
無かったと思う。
老老の暮らしの中で、時折お付き合いのあった
人のことが話になる。
まあ、迷い道のようなもので、懐かしい風景と
人情をいただいた。
これが、老老暮らしの財産だと思ってる。
道は、迷った方が得をする。
では、また明日。
暑いですねえ。
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