老老夫婦の暮らしは、面白いに決まっちょる。

暮らしのこと,花や庭木,感じたこと,雑文ブログ。

離れて行く人、寂しくなるよ。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 

 

家人「あんた、知っているかいAさんの

婆ちゃんが、施設に入ったんだって」

私「それでかあ、去年の暮に姿を見たっきりだ

病気なのかと思っていたよ」

 

 

また1人、知った人がこの界隈から去って行った。

 

 

コロナのために、外出を控えようと言った空気。

散歩に出る人も少なくなった。

寂しくなる。

 

 

***

Aさんの婆ちゃんは、息子と嫁さんが

面倒を見ていた。

 

 

その息子は、去年あたりから強度の

緑内障とやらで目が見えなくなった。

 

 

もちろん、1人歩きは出来ない。

家の中でも、壁伝いで動いている。

これは、家人が嫁さんから聞いた話だ。

 

 

嫁さんは、亭主と婆さんの世話に明け

暮れている。

 

 

家人「あんた、きついね、参らんようにしなよ」

嫁さん「仕方がないよ、誰かか面倒見ないと

いけんからね」

そんな返事だったそうだ。

 

 

私「Aさん婆ちゃん、自分から施設に

行ったんだと思うよ」

家人「そうだろうねえ」

 

 

***

Aさんの婆ちゃんは、家人の母親と親しかった。

 

 

家人の母さんは俺たち夫婦が、転勤のたびに

来てくれた。

住まいが変わる。

 

 

「おお、こんどはこんな家か」

自分の事みたいに喜んでいた。

「安心したよ」

いつも、そう言って帰った。

 

 

家に帰ってAさんに、私たちの家や

暮らしをよく話していたようだ。

 

 

Aさんの婆ちゃんは、息子の嫁さんに

あんたたち、転勤はないのかいと良く

言ってたそうだ。

 

 

自分の息子が転勤をして、いろんな土地に行く

それを、旅行気分で見に行ける。

 

 

転勤をすれば、わずかでも偉くなっている。

そう言うところが、うらやましかったようだ。

 

 

「うちの息子は、おとなしいからねえ」

ため息まじりにそう言っていたようだ。

 

 

***

会社を退職して、久住の山すそに暮らす夢は

実現しなかった。

結局、生まれ育った筑後平野に帰って来た。

そこに家を建てた。

 

 

Aさんの婆ちゃんは「あんたたちは、双六の

上りまで行った、たいしたもんだ」と言った。

最後に、少しの役をもらったことまで

伝わっていた。

 

 

家を建てる時には、家人の両親はすでに

亡くなっていた。

Aさんの婆ちゃんは、家人の相談相手だった。

 

 

私たちは帰って来たのに、今度はAさんの

婆ちゃんが離れて行った。

 

 

寂しくなるよ。

 

 

では、また明日。

 

 

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