老老夫婦の暮らしは、面白いに決まっちょる。

暮らしのこと,花や庭木,感じたこと,雑文ブログ。

ジャガイモ前線、桜前線と違うの。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 

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家人「あんた、これ食べようや」

差し出されたのは、ポテトチップの袋。

私「どうしてこれを」

家人「電話でこれが美味しいと、話題に

なっていた」

 

 

スーパーのスナックのコーナーにあったそうだ。

普段、老老二人の暮らしでは、ほとんど食べない。

 

 

娘が、たまに買って来るだけ。

 

 

年々、食べ物が保守的になっているそうだ。

これは、娘の観察による表現である。

 

 

***

食べながら、袋を何となく眺めていた。

 

 

なんだって。

「じゃがいも前線」と書いてあった。

春の桜前線はよく聞くが、ジャガイモにも

前線があった。

 

 

知らなかった。

 

 

袋の説明をよく読むと、ジャガイモの収穫時期が

南の九州から北上して行き、最後は北海道になる。

 

 

北海道では、8月に収穫する。

これが、旨いとしてある。

 

 

どうして、北海道で8月収穫のものが

旨いのかは書いてなかった。

 

 

まあ、これも口当たりの良いPR

キャッチフレーズなのだろう。

 

 

***

ジャガイモの栽培は九州では、春植えと秋植えの

2回が可能。

九州以外でも、暖かい地域は2回植えている

かもしれない。

 

 

春に植えるものは、だんしゃくとメークイン

2種類だった。

 

 

しかし、最近は種類が多くなった。

 

 

外側が赤いアンデス

甘い栗の味キタアカリ。

北海こがね。

インカの目覚め。

その他、いろいろ。

 

 

名前の付け方が面白い。

本家のアンデス、インカ。

日本の産地の北海、キタアカリ。

 

 

こんな名前を付けると覚えやすいのだろうか。

 

 

家人「ややっこしいのは、ごめんだよ

だんしゃくとメークインだけで良いよ」

 

 

***

○○前線と言う名が増えてきたら

混乱しないか。

 

 

和菓子は、季節をあしらった作りが多い。

これに、〇〇前線がついてきたら、たまらん。

 

 

私「イチゴ大福前線とか・・・」

家人「桜餅は、桜前線にのってきましたとか」

 

 

***

私「しかし、シソ風味のポテチは旨いなあ

くせになりそうだよ」

家人「美味しいですね、また買ってきますよ」

 

 

では、また明日。

 

 

追記。

決して、ポテチの宣伝ではありません。

アフリエイトはしていませんので。

 

 ポテチも美味しいですが

ポチッとも美味しいです。

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それも、面倒だなあ。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 

 

家人に電話があった。

おしゃべり仲間の一人だ。

 

 

***

友達「あんた、明日は暇かねえ」

家人「明日は空いているよ、何もない」

相手は、私が訪問看護を受けていることを

充分、ご存知である。

 

 

何事だろう。

 

 

電話は、私のすぐ横にある。

その会話に意識がいった。

その人は、一人暮らしだ。

 

 

台風の被害があって、その片付けのお手伝いか。

私の頭の中が、先走りをしている。

 

 

友達「台風の被害はなかったよ」

家人「そうかい、何もなくて良かったね」

 

 

友達「さっき、姪っ子から電話があった」

家人「なんだったの」

友達「お食事に行かないかって」

家人「嬉しいことだねえ、行けばいいよ」

 

 

友達「一人だけだと気ずまりでねえ

あんたが来ないかなあと思ってね」

家人「わたしがかねえ、邪魔でないかい」

友達「一緒だと助かるがねえ」

 

 

***

食事のお誘いだった。

 

 

たとえ、若い身内がついていても年寄りの

行動は心もとない。

同年輩の年寄りが一緒だと心強いし安心。

 

 

そう言う気安さがあってこそ、食事も

美味しくなる。

 

 

家人「あんた、久しぶりに街で食事してきます」

私「電話のことだな、わかった」

 

 

***

家人「帰りにユニクロに寄ってきます」

私「秋物シャツのことだな、1枚あれば助かるよ」

家人「私の着るものも欲しいし」

 

 

どうって事はないが、二人共ユニクロがお好みである。

種類が少なくて、あまり選ばなくて良いのが

好みである。

品質は安定している。

 

 

要するに、服装を選ぶのが面倒だから気に入った

物が数点あれば良い。

長く使えるものが良い。

 

 

この年になると、上下ジャージで一生暮らしても

良いと思う。

 

 

娘「それだから、親父は爺くさくなるんだ

もっと蛍光色の派手なものを着てみなよ」

 

 

私「それで人生が変わるならそうするがね

しかし、それも面倒だなあ」

 

 

では、また明日。

 

 

 今日は涼しかった。

ポチッとがあると

もっと涼しいです。

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熟れすぎたキューリ、だが美味しい。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 

 

依然、畑を借りて野菜を育てた。

20年余り。

病気をして畑は返した。

 

 

夏には、キューリは絶対に外せないものだった。

毎年、必ず作った。

 

 

夏から秋にかけては、地這いキューリを

育てた。

 

 

これは、地面に広がって広がり実がなる。

昔からのやり方で、秋の台風に備えて

棚は作らずに地面に這わせて作る。

 

 

下に敷いた藁や雑草にツルが巻き付き

台風の強い風に負けない。

 

 

つるや葉っぱが広がり影を作るために

比較的乾燥にも強い。

 

 

あまり手がかからない。

ほったらかし同然で収穫できた。

 

 

ただ、欠点は葉っぱが茂り、陰になり

キューリを見落としてしまう。

 

 

これが採り遅れて、熟した大きな

ものになる。

 

 

***

上手く行くと、採れ過ぎる。

収穫後は家人任せだった。

 

 

サラダ、酢の物、焼酎漬けなど。

それでもあまれば、ご近所に

おすそ分けをしていた。

 

 

キューリは利用価値が高い。

手軽な料理で食べられる。

どの家も喜んでもらえた。

 

 

***

店頭に並ぶキューリは大きさが

統一されている。

曲がったものもいけない。

生産者は、その規格に合わせて出荷する。

 

 

若くて歯触りが良いもの。

しかし、キューリ本来の味はない。

早採りのキューリの味。

 

 

もっと熟して味あうとキューリ独特の

香りと甘みが存在する。

 

 

育ち過ぎて、タネが多いキューリと

言われるだろうが確かな旨味がある。

 

 

決して店頭には出てこないが・・・

 

 

ごく薄切りにして、塩もみして合わせ酢で

いただく。

 

 

ほのかな甘みがあって、歯切れも良い。

新鮮だからかもしれない。

 

 

こんなキューリの食べ方は、自家用で

作ったものでしか味わえない。

 

 

あの大きな熟れすぎのキューリが欲しいね。

 

 

では、また明日。

 

 

涼しさも、ポチッとも

嬉しいです。

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よおーく、考えてごらん。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 

 

台風が過ぎて花がなくなった。

虫も見当たらない。

写真が撮れなくなった。

 

 

子供のころ、家でも学校でも

何度も言われた。

でも、本当に考えたのか

今でもわからん。

 

 

***

家人「今度の、台風停電しなくて

良かったなあ」

私「うん、良かった、ホッとした」

 

 

強い台風で、停電は避けられんと思っていた。

停電した所の地域の人にはスマンと思う。

 

 

メダカが心配だった。

 

 

停電すると、水槽に酸素を送り込む泡ぷくが

途絶える。

まあ、一日ぐらいはなくても大丈夫かと

思っていた。

 

 

去年の、関東を襲った台風は、停電が長かった

記憶がある。

 

 

その当時は、台風がいつも通る九州の電力会社と

ほとんど台風が通らない関東の電力会社の

経験の差だと考えた。

 

 

泡ぶくのことを何度も心配した。

家人「最悪の場合はあんたが自転車の

空気入れで泡ぷくを入れれば良いよ」

私「ん、なかなか、ユニークな方法だなあ」

 

 

家人「何かのコマーシャルでは、足踏みの

自転車で発電していたよ」

 

 

ここ方法は良いのだが、真っ暗闇の中で

自転車の空気入れを、エッチラオッチラ

操作しなくてはならない。

 

 

とんだ重労働で、体力勝負になる。

これは、たまらんことだ。

 

 

メダカには悪いが、だんまりを決めた。

「沈黙は金」だと聞いているからね。

 

 

***

体力が落ちないように歩いている。

家のまわりを15周。

 

 

更に室内で15センチの高さのステップ台を

使って上がったり下りたりを100回

繰り返している。

 

 

最近は、人間の老化は脳みそからではなく

足腰の衰えから来るのではないかと

思っている。

 

 

***

人間は、定住する以前は、食物を得るために

移動していた。

おそらく、女性は子供をつれて、食べられるものを

探しながらの移動であった。

 

 

一日に10km、もっと少なく5kmだったかも

しれない。

ピクニック程度かも。

 

 

この歩くことが、体つくりの基本ではないだろうか。

古代からの遺伝子がそう出来上がっている。

 

 

歩きながら、食べ物を探す。

どこにあるのか考える。

その時、親は子供にたずねる。

どこにあるんだろうね。

 

 

あっちの方か、こっちの方か。

季節によっても異なる。

 

 

親は、「よおーく考えてごらん」と言った。

子供は、そう言う言葉で覚えていった。

 

 

歩きながらの、学習。

命をつなぐための勉強。

 

 

その後の時代に、麦米雑穀の栽培が始まる。

人は、定住した。

 

 

農耕が始まった。

多くの人手が必要になった。

 

 

***

集団生活が始まった。

おっかさん達が、ワイワイガヤガヤと

話すがまとまらない。

 

 

長老が決定する。

物事の判断を下す。

 

 

子供たちをまとめて、同一のことを教える。

そこで学校の原型が生まれた。

 

 

学習の内容は、麦米雑穀の育て方

家畜の育て方など。

 

 

わかったかね。

もっと「よおーく考えてごらん」

教えることの、常套語になった。

 

 

おっかさん達も賢い。

この教え方を見習った。

「よおーく考えてごらん」を使った。

 

 

この言葉は今も多用されている。

この言葉は歴史が古い。

 

 

では、また明日。

 

 

 少し涼しくなりました。

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命と向き合う、年寄りの相手は生き物。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 

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ドライフルーツ、またもらった。酸っぱいので食べられんそうだ。 

 

 

お年寄りの一人暮らし。

または老老の二人暮らし。

 

 

会話が途絶えがちになる。

体力は低下している。

 

 

しかし、生きがいは欲しい。

 

 

***

昔は家族が同居していた。

二世代、三世代。

 

 

そのなかで、年寄りの役目や仕事があった。

どんなに年をとっても。

 

 

暮らしの中でおのずから仕事が

割り当てられていた。

 

 

家畜の世話。

孫のお守り。

小さな手仕事。

風習、行事のしきたり。

 

 

命が終わるまで、何らかの仕事があった。

仕事を遂行しきって、安らかな顔で永眠した。

 

 

***

種々の事情が生まれて、現代は同居をしない。

それは、それで良い。

 

 

それぞれが、暮らして行ければそれで良い。

お年寄りが置き去りになったのではない。

 

 

それぞれが、独立した所帯になった。

稼ぎをするには、それが一番都合が良い。

 

 

年寄りは、独立するのだ。

手塩にかけて子供を育て、子離れをするのだ。

生きるとはそう言うものだ。

 

 

自然の生き物は、同居を許さない。

だから、自然回帰だ。

 

 

***

独立をしたお年寄りは、自分の都合で暮らす。

毅然として暮らす。

 

 

子供への甘えは許されない。

それが独立したと言うこと。

 

 

それには、寂しさがついて回るが

それは、自己解決するべきこと。

 

 

暮らしの中に、小動物がいる。

 

 

命を宿している。

生きている。

可愛い。

 

 

お世話をすることが、仕事になる。

一方的だが、話しが出来る。

 

 

それが、暮らしだ。

 

 

では、また明日。

 

 

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