種子をまく人。
おはようございます。
久留米のじじいであります。
家人「で、なんだね、種子まきをするのかえ」
今朝の会話は、ここから始まった。
私「ああ、何でも手当たり次第にまく」
家人「今の時期は、野菜の種子しかないよ
花の苗なら多いがねえ」
私「そうだなあ、少ないね、見当たらんね」
家人「秋口になると増えるよ、我慢したらどう」
私「そうはいかん、ブログを続けるために
種子を探すよ」
そうは言うものの、心当たりはある。
去年、実ったザボンとカボス。
形の悪いものを、残した。
その残骸がある。
種子は取れる。
実験的に種子を取り、種子をまいて芽が出て
くれれば、それで万事OKだ。
もし、苗まで育った時には、誰かに進呈する。
とてもじゃあないが、家の庭には植える
空間が無い。
これが、駄目だったらアボカドをねらう。
これの芽出しは、経験ありだ。
***
今日は、珍しく初めにタイトルが頭に浮かんだ。
西洋の画家で、「晩鐘」や「落穂拾い」を
描いたミレーという人がいる。
家人「落穂ひろいは、領主がどこでも
拾って良いと許しを出していた」
私「民を思っていたのだ、大阪の
吉村知事のようだったかねえ」
作品に「種子をまく人」というのがある。
バルビゾン村で静かに暮らす、農民の姿を
描いている。
しかし、「種子をまく人」は躍動する人を
描いていた。
広範囲に麦の種子をばらまく、その姿は力強い。
種子をまくと言う行為は、食料になるスタート。
命を維持する原点だろう。
種子の1粒1粒に、たのむぞ芽を出してくれ。
そう祈りながら、力いっぱいばら撒く。
だから、あの「種子をまく人」の絵は強い。
収穫までの、暮らしがかかっている。
***
ある1種類の種子をまいて、育てる。
これを、垂直なモーメントだとすれば
種子の種類は問わずに、蒔くこと新しい芽が
誕生する。
このことに集約すれば、モーメントが水平に
広がる。
男性のブログに多い、追及する深く掘り下げる。
そのことから逃れて、広く横に広がる。
女性のブログに、近いやり方手法といえる。
今までの、野菜を作っていたのは、食べられる
ものの生産だったようだ。
野菜作りのマニュアルどおりで、スタートの種子
そのものがメーカの種袋を購入する。
肥料を入れて、消毒をして等などメーカの
指示通りを実行していた。
***
種子は、自分で発見して手に入れる。
家人「面白いね、家の庭で手に入ったものや
食べた果物、近くでいただいたものに限る」
私「どうだろう、これもエコではないかい」
その種子をまく、マニュアルはいらない。
当たり外れは、大きいが損失ではない。
失敗すれば、何度も挑戦できる。
ワシはそういう「種子をまく人」になろう。
では、また明日。
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