老老夫婦の暮らしは、面白いに決まっちょる。

暮らしのこと,花や庭木,感じたこと,雑文ブログ。

「世間」「人情」は、忘れられた言葉か。

こんにちは、久留米じいじです。

福岡の開花予想が二つある。
3月18日と、3月20日。


3月18日は咲かなかった。
20日は、咲くのかなあ。

 

最近は、子供が、余計なもののようだ。


こんな、風潮になってきたのは
いつ頃からだろうか。(悲しい)


社会ニュース等の、ことを書くのは
苦手なのだが、年寄りのたわごと、と
思ってください。


江戸時代の話しでは、日々の暮らしに
疲れ、入水自殺をするときに


親が子供は、幸せに生きてくれよと
お寺の門前に置く、という場面がある。


歌舞伎や、浄瑠璃などには、その親は
入水自殺をしたが、死の直前で助けられ


後年、捨てた我が子に再会すると
いうのもある。


まあ、いい話が残って、悲惨な話は
残らなかった。かもしれないが。


本当は、世間様と人情、で救われて
いたような気がする。


最近のニュースの、親が子をなぶり殺し
にする、いじめて自殺に追い込む等、
事件の多さは、異状だと思う。


私の、子供の時代と書くと
(又、思い出調子になるが)


ほとんどの家庭が、子だくさんだった。
だから、遊びすぎて帰りが遅れると


晩御飯は、ここで食べな、といわれて
ご馳走になることが、多かった。


決して、今で言う、ごちそうではない。


ざるいっぱいの、サツマイモとか
ジャガイモ、カボチャを蒸したもの。


でも、大人数で、大騒ぎで食べると
とにかく、旨い。


子供が多い、一人ぐらい増えても
なんともない。


分け合って食べることが、あたりまえ
みたいな暮らしだ。


だから、「遠慮はいらないよ」と
言えたんだ、と思う。


その上に、上の兄ちゃんに
「この子を送ってあげな、あちらさんも
心配しているからね」と言う。


これが、「世間」「人情」と
今、思っている。


都市化とか、一極集中とか、密集した
暮らしは、人間同士の距離が近まり


「世間」「人情」は濃密にならないと
おかしい。と思うがねえ。


顔と顔が、ぶつっかる程、近いのにね。


「世界一貧乏な国」の
元大統領ホセ・ムヒカさんは


お金で買うもの、この物欲のほうが
先立っている。


これを、追及しても、人間は幸せに
ならないと言う。
地球サミット2012ブラジル)


ボランティアの神様だという
メディアの造語だ。


そう、あの尾畠さんのことだ。
東京から、歩いて帰る。
本人は、これが一番自然だと思っている。


それを、メディアが騒ぎ立てる。
皆は、感謝の気持ちだろうが、贈り物や
差し入れを持って、見物に行く。


いただきもので、リヤカーが満杯になる。
見物人が大勢になり、交通事故の
恐れがある。


尾畠さんは、徒歩での帰りを中止した。


贈り物をしたのじゃない、重荷を渡した。


中止することすら、すみませんねと言う。


メディアは、写すのは止めたが
やり方を、反省する機運もない。


見物に行った人も、その行動を反省した
人は少数だと思う。
(根拠はない)


世間とか、人情とか、ほのぼのとした
ものはどこかに、置き忘れたように
見える。


私達(老人)が出来ることは
社会に向けて、不平、不満を言う
前に。


「世間」と「人情」の言葉が
消えてしまわないように、心使いを
すること、ではないかなあ。


おしゃべりネットワークのようにね。
(普段は、無駄なおしゃべりと思うが)

参考までに。


発展は、幸福を阻害するものでは
いけない。
発展は、人類に幸福を、もたらすもので
ないといけない。


愛情や人間関係、子供を育てること
友達を持つこと。


そして、必要最低のものを、持つことを
もたらすべきである。

ホセ・ムヒカ
地球サミット2012
ブラジルでのスピーチ)


公害を、防ごうと言うサミットで。


公害を出す、社会を作ったことの
根底から、考え直さないと


人類は、幸せになれないとスピーチをした。
そのスピーチの要約が手元にある。


私の宝物だ。

 

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