「吾輩は猫である」
おはようございます。
久留米のじじいであります。
家人「古い料理の本とか、雑誌を整理していたら
この本が出て来たよ」
そう言って差し出した文庫本は、夏目漱石の
「吾輩は猫である」だった。
これは、社会人になる前に読んだと思う。
60年ぐらい昔だから、はっきりとは覚えていない。
相当に、昔だねえ。
本の奥付を見て、出版した年を調べた。
あれっ!
2011年11月10日であった。
文春文庫であった。
相当に新しいやんか。
これは、ワシの読んだ本ではない。
もちろん、これを買った覚えはない。
私「あんたが買ったか、譲り受けたかだな」
家人「私が買ったのかねえ、覚えていないよ」
この本は、ユーモラスな内容だった。
面白かったので、「坊ちゃん」と言う本も
続けて読んだ。
これも、結構面白かった。
私「預かって良いか、再読する」
家人「あげるよどうぞ、ごゆっくりお読みくだされ」
***
これを、読んでっと書評らしきものをブログにする。
昔読んだ時と、再読する時の落差はあるか。
しかし、昔読んだ時のことを、思い出せるかどうかだな。
それすら、思い出せないとなるとブログに書けんなあ。
しかし、この本は長い。
長編小説だよね。
昔読んだ時も、こんなに長いものだったか。
60年の間に、本が成長したのかもしれない。
そんなことはないね。
あったら、大変だよ。
図書館の本など、すぐに入りきれないことになる。
図書館のパンクだ。
全国各地の図書館が、パン、パンと破裂するよ。
ことによれば、出版社は喜ぶかもしれん。
図書館の立て直しが始まって、本の注文が来る。
出版の業界は、ニンマリとする。
そんなことはないよね。
家人「あんた、何をニヤニヤしているのさ
お得意の妄想かね」
私「いやなに、出版界の盛況について
考えていた」
***
この本は、不思議だ。
目次らしいものがない。
文章の区切りに数字があるだけ。
昔、読んだ時もそうだったのか、記憶は定かでない。
まあ、本の形式にこだわったって仕方がない。
長い小説だから、数字の区切りを目安に読む。
そこで、どうだったか考える。
昔の通り、面白かったらブログにします。
では、また明日。
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感謝。