江戸の町は、先進国だった。
カラスウリはもっと赤くなるかな。
江戸の町は、その頃100万人の都市で
世界一整備をされたところ。
だいぶん昔読んだ本に書いてあった。
その頃から江戸の町の暮らしに
興味があった。
***
そのひとつは。
町のあっちこっちに寺小屋があって
「読み」「書き」「ソロバン」を
教えていた。
これは、時代劇のドラマに良く出て来る
光景である。
子供が字を読める、字を書けることで
親が何と書いてあるのの質問に答える。
そうやって、親までが字を読んだり
書いたりすることが出来るようになった。
その当時の瓦版は、現在の新聞の
ようなもので江戸の町の出来事を
これで知った。
残されたものを見ると、誰にでも
読めるようにひらがな文字で
書いてある。
***
今日読んだネットニュースには
「日本の江戸が樹立をした世界記録の
いくつか」に同様のことが書いてあった。
識字率が武士はほぼ100%。
庶民の男性の識字率は約50%。
寺小屋での就学率は70から80%。
しかも、この寺小屋制度は国が決めた
ものではない。
お寺の坊さんとまわりの住民の知恵で
出来上がっている。
子供たちは読み書きのほかにソロバンを
教わった。
算数の足し算と引き算を習ったことになる。
それで10才過ぎの頃になると
丁稚奉公に出た。
寺小屋の先生であったお坊さんが身元
保証人になっていただろう。
奉公の期間が終わると使用人になった。
今でいえば、見習社員から正式な
社員になった。
当時の江戸の街には、商家が多く
雇われた人も多かった。
努力をすれば番頭見習いになり
その上の番頭までのぼりつめることが
出来た。
今のサラリーマン制度に似ている。
おそらく庶民の暮らしはこう言う人たちが
中心になって構成されていたのではないか。
考えてみると、現在の都会暮らしと
あまり変わらんような気もする。
勤めを終えて、ワシのような暮らしを
している人も多かったと思う。
では、またあした。
ポチッとをいただくと
嬉しいです。