通院日、この道の先に明かりが欲しい。
おはようございます。
久留米のじじいであります。
暮れも押し詰まってきました。
今年最後の通院日。
ここ数日、福岡県のコロナ感染者数が
100人を超した。
不気味な数字になって来た。
久留米も、4人、3人と少しづつ増えて
来ている。
私「病院行きは、いやだなあ」
家人「病院に行かないと、薬をもらえない
でしょう」
私「わかっとるわい」
***
私の病は、治る見込みがない。
国の特定疾患と言う項目に入っている。
その為に、先生の診断書を添えて国の
証明書をいただいている。
私「病状はちっとも変わらん
お薬だけ欲しい」
家人「通院日になるとそれを言うね
子供みたい」
診察をする先生は、肺のレントゲンを見て
曇っているか、晴れているかを判断している。
まるで、今日の天気を見ているようだ。
先生「ここら辺が、かすんでいますね」
(霧が発生したのでしょう)
先生「タンが絡んでいるようです、訪問看護の
人にここを重点的にカップリングするように
伝えて下さい」
***
持参したデジタルカメラを先生に渡すと
先月の写真と今回の写真を写してくれる。
これを、自宅でパソコンに表示する。
その日の終わりに、皆さんに説明をする。
このやり方の発端は家人。
何気なくスマホを出して先生これに
レントゲンの写真を写して下さい。
訪問看護の方に見せます。
悪いところが見えれば、助かると思います。
ここから始まった。
レントゲンの写真。
血液検査のデータ。
いただく薬の表。
今では、通院のたびに訪問看護の人に
渡している。
***
血液検査のデータ。
先生「ふむふむ、肝臓のデータは良し」
「膵臓は変化なし」「炎症の値は小さくなった」
その他数項目を読み上げるが、ワシには
何のことかわからん。
先生「今回も良いですね」
いくら良いですねと言っても、現状を
維持するだけで回復していると言う
言葉はない。
命を長らえていると言うこと。
何か新しい治し方おを考えるとか
薬を変えてみようと
言うこともない。
このまま、安定状態が続けば
良いと言う。
どこかに、治る、完治すると言う言葉が
落ちていないものか。
上り坂でもない。
下り坂でもない。
平坦な道と言うが、平たんであれば
かえって悲しい。
下り坂で、終わりに近づいているより
マシかもしれんが。
通院日で待合室で待っている時間は
いつもこの考えに落ち込んでしまう。
希望の道とは、その先に明かりが見えること。
平坦な道ではあるが、その先に
明かりは見えない。
***
待合室には、人が少ない。
今日が一番少ない。
年末であるから。
コロナであるから。
理由はいろいろあろうが、病院が本当に
必要なのはこれくらいのものだろう。
判断がつかないとか、あいまいな病気の人が
ここに今来ている。
そこを考えると私は幸せ。
適格な判断はついているし、証明されている。
難点はただ治らないだけ。
サンタさん、どうか私の道の先に希望の
明かりを下さい。
トナカイが迷わないその灯りを。
では、また明日。
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