どうしてゴミは増えるんだろう。
おはようございます。
久留米のじじいであります。
12月に入った。
1年が過ぎるのは早い。
家人「毎年、何もしないと言うけどねえ」
私「師走で、先生も走るからなあ
何かやらないと落ち着かない」
家人「やっぱりね、あれもこれもと
不用なものが出て来るんだよ
なぜだろう」
私「そりゃあ、わかっている簡単な事だ
物を買うからだよ」
家人「あんまり買ってないと思います」
***
世の中、いろんな商品が開発されて
暮らしは便利になった。
物を買うについても、注文すると
配達してくれる。
私「便利だが、ちょいとそこが曲者なんだ」
家人「何が曲者ですか」
私「配達の品は段ボール、パッケージ」
ほとんどの商品は、段ボールに入ってくる。
この空の段ボールは、資源ゴミになる。
しかし、段ボールを開けると、動かないように
固定する緩衝材に囲まれている。
さらに、本体と別に説明書やほかの商品の
ご案内が入っている。
これも、別々の袋に入っている。
さらにさらにだ、本体の付属品は別の袋に
入っている。
すべてを開けながら思った。
お猿さんが、玉ねぎをもらって次々に
皮を剥いて行く。
なんだか似ている作業だ。
開梱が終わって、空の段ボールにゴミに
なるものを入れると、半分以上になっている。
***
昔は、商いの範囲が狭かった。
地域の店に注文すると、商品を持って
きてくれた。
梱包は取り除かれていた。
それが出来ないものは、家の前で開梱して
不用なものは、持って帰った。
もちろん、故障したものも。
「他に処分するものないかい」と声をかけていた。
「ついでにこれもお願いしますよ」
そんなやり取りが、当たり前。
流通が素朴な時代は、その過程でゴミが
自動的に処理されていたのだろう。
それが、変わってしまった。
全国的な流通になり、ネット注文になった。
商品は配達されるが、梱包されたものを
そのまま受け取る。
不用な開梱で生じたゴミは、自己処理。
取り換えた、故障の品も自己処理。
取り換えた本体は、高機能で便利になったが
生じたゴミは、場所を取る。
処理には、労力とお金がかかる。
***
テレビでゴミ屋敷のニュースがある。
ほとんどは、他人のゴミまで集めた
結果だろうがそうとも言えない
時代になった。
自分のゴミの処理が停滞することで
ゴミ屋敷になりかねない。
ものを買う人をお客さんと言う。
その裏には、消費者と呼ぶ言葉もある。
それはピッタリ言葉かもしれない。
不用な梱包も含めて消費している。
ゴミをため込むのが消費者だろう。
***
外国では、朝食も外食しているところもある。
朝、仕事に行くその支度で、朝食を作る暇はない。
朝は、外食する。
ゴミのことも考慮すると、外食もありでは。
ゴミや食材のあまりも出ない。
栄養に富んだものが食べられる。
健康維持に良い。
ピッタリとあまさず作っています、と言うことは
天才でなければ不可能である。
***
家人「ゴミが出ないように、うちでも外食しましょうか」
私「この地域に朝から開店しているところがないよ」
では、また明日。
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