老老夫婦の暮らしは、面白いに決まっちょる。

暮らしのこと,花や庭木,感じたこと,雑文ブログ。

オイオイまたかよ、台風10号がくる。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 10号拡大(2020年09月03日 12時現在)

 

台風9号のことを、ブログに書いていたら・・・

 

 

家人「「台風10号だつて、それもうちの

上を通る」

私「冗談だろう」

家人「冗談じゃアないよ、ほんまもんだよ」

 

 

そんな会話をして、タブレット

台風情報を見た。

 

 

なになに、気象庁が特別会見だと。

首相が誰になるかの会見の間違いではないかい。

伊勢湾台風並みの強いものと言う。

 

 

今の台風予報は正確になった。

あまり違うということがなくなった。

そこで、特別会見のようだ。

 

 

***

九州生まれで九州育ちが、なんの因縁か

わからんが伊勢湾台風に遭遇した。

 

 

1959年(昭和34年)9月、当時

新入社員の研修で、三重県鈴鹿市に居た。

 

 

当時は、テレビもなくラジオだけだった。

電話も自動ではない。

頼りになるものは電報だった。

 

 

猛烈な台風で、家がミシミシと音を

たてて揺れる。

そのたびに、畳がフワッと浮いた

感じがする。

 

 

ゴーゴーと風の音だけ。

それが、一晩中続いた。

 

 

被害は大きかった。

まわりの家は、すべて瓦がない。

雨戸もなく、筒抜けの家も多い。

 

 

1週間ほどは、今で言うボランティア活動。

宿舎と教室と先生宅と近所の家の後整理。

 

 

伊勢湾海岸沿いの漁村を見に行った。

漁船が、家の屋根に突き刺さっている。

こんな光景はあきれ返って、ただ見て

いるだけ。

 

 

研修が終わって、どうやって九州に

帰ったか記憶はうすれている。

近鉄松坂に出て、大阪経由で帰ったと思うが。

 

 

博多について、会社に顔を出すと

「おお、生きとったか」と言われた。

 

 

その後、犠牲者が5,000人と聞いた。

痛ましい。

今では、考えられない数字だ。

 

 

後年、本社の会議に出席した。

当時の研修の同級生と数人顔を合わせた。

 

 

あの時の台風は、私が九州から連れて

来たのだと冗談まじり言う。

 

 

しかし、犠牲者が5,000人出たと

言うことが引っかかって、顔が

こわばってしまった。

 

 

おおよそ60年もの昔の話しである。

 

 

こんな体験は、自慢するものではないが

一生忘れられないことだ。

 

 

***

その後、幾度も台風に遭遇したが、大きな

被害もなく通り過ぎた。

 

 

今度の台風10号も、無事に通り

抜けることを願っている。

 

 

老老二人ずれは、何度家の重しに

なったんだろうか。

家人「わからん、夢中でやり過ごして

きたからね」

 

 

今度も、家の重しだ。

年は取つても、お互いの体重を合わせると

100キロを超える。

重しの代わりにはなるだろう。

 

 

ああそうだ、漬物石を抱いていれば

もっと役に立つ。

 

 

では、また明日。

 

 

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