老老夫婦の暮らしは、面白いに決まっちょる。

暮らしのこと,花や庭木,感じたこと,雑文ブログ。

家人、久しぶりの手話。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 

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今日もパソコンのそば、油断するとキーボードの上に寝ます。

 

 

家人「やっぱり、 使わないと錆つくね」

私「どうした、なんだね」

 

 

相変わらず、主語無しの会話が始まっています。

 

 

「だから、どうした」とつなぎ目を入れることで

お話が出来上がっています。

 

 

***

新型コロナの騒ぎで、スーパーに人が一番少ない

時間は午後の2時過ぎだろうと、勝手に決めて

買い物に行ってます。

 

 

そのスーパのレジでの話です。

 

 

隣のレジは、ろうわの人でレジの人と手話で話して

いるけれど、意味がなかなか伝わらない。

 

 

お互いに困っていたそうです。

 

 

家人のレジが終わり近づいて、手話で

どうしたのとたずねた。

 

 

買った品物とレシートの値段が違うという。

品物は、特売品でもっと安いと話す。

 

 

レジの人に、そのように伝えると、その品は

今日は特売ではない。

 

 

特売は、昨日までだった。

 

 

そう伝えて、手に持つているチラシを

確かめると、昨日のチラシだったよ。

 

 

そのことを、手話まじりでろうわの人に伝えると

チラシの日付の間違いがわかり、納得して何度も

ありがとうと手話がかえって来たよ。

 

 

そこに、古株の店長さんが来てね。

これまた、お礼を言われたよ。

 

 

店長は、家人が手話が出来る事を覚えていた。

 

 

昔、ろうわの方と一緒に買い物に来ていたね。

それで、重ね重ねのお礼を言われたよ。

 

 

***

もうずいぶんと昔の話し。

 

 

ある日突然、市役所で手話講座がある。

申し込んだよと家人は言った。

 

 

今から先は、何かお役に立つことがしたい。

 

 

6カ月の講座で、覚えることに苦労をしていた。

 

 

講座終了後は、手話のサークルに入って

学習をしていた。

 

 

けれども、なかなかものにならない。

 

 

そうこうするうちに、転勤になって手話は

それっきりになった。

 

 

***

退職して、久留米に帰ってくると近くに

ろうわのご夫婦が暮らしていた。

 

 

家人は、すれ違う時に手話で挨拶をした。

嬉しそうに、手話が帰って来た。

 

 

それから、おつきあいが始まった。

 

 

家人の手話の先生である。

本物の先生だ。

 

 

教わりながら、いろんな相談事。

役場へ手続きに同行。

 

 

病院に同行。

もちろん、買い物に一緒。

 

 

今までに、手話通訳として同行してくれる人は

居なかった。

 

 

そんなときに、家人が留守で手話での話を

される時が困ったが、メモを書いても

らっていた。

 

 

家人に、あんたの亭主も手話が出来るように

なれば良いのに、と話していたそうだ。

 

 

娘さんが居て、結婚されて所帯を持った。

 

 

ご主人が良い人で、一緒に暮らそうと

言うことになった。

 

 

なにがどうあろうと、身内と一緒が一番安心。

 

 

4年ほどの手話友達だった。

 

 

お別れの日は、涙を流して抱き合った。

ご主人とは、敬礼をして見送った。

 

 

ときどき、娘さんから電話がある。

 

 

家人「使わないと、やっぱり忘れるね」

私「お役に立てた、立派だと思うよ」

 

 

家人「少し手話を使うことがないかねえ」

 

 

私「お役所のボランティアを、申し込めばどうだね」

 

 

家人「そんなのは無理だよ、ヘッポコ手話は

通用しないよ」

 

 

あのろうわのご夫婦の姿を、思い出していました。

 

 

では、また。

 

 

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