落穂ひろい。
おはようございます。
久留米のじじいであります。
ザボンの葉陰で毛虫を見つけた、幼虫になった。目玉が可愛い。
私「ブログに何を書こうかと考えた時は
すでに内面的思考に入っている」
家人「なんだって、難しくてわからん」
私「いや、なに、書くことがないのでね
妄想的な入り口に立ったんだよ」
家人「要するに書けないんだ、ごちゃごちゃ
言うからわからん」
私「いや、なんだ、落穂ひろいなんだよ」
家人「???変な人だねえ、サッパリわからんよ」
先日、タネをまく人について、ブログを
書いたんです。
その記憶の切れっぱしが、頭中に残っています。
思考の断片ですかねえ。
***
昔のメモ、パソコンに入れてあるならファイル。
これを見ましょう。
そんなことを書いてありました。
その当時は、使えないが何か捨てるには
もったいない。
メモは、使えそうな気がして残すものです。
それらは、時間をおいてみると価値を
見出せるものがあります。
そのメモから、思考が続けられる
ものもあります。
ここで、視線がはたと止まったのです。
今私は、その落穂ひろいを始めようとしています。
目の前に書く題材がない、そんなとき脳みそは
過去の記憶にさかのぼります。
何かないだろうかと、さがします。
記憶が残っているものは、体感したものですよね。
嬉しかったり、悲しかったり、寂しかったり。
感想文こそ書いていませんが、その時の感情が
織り込まれています。
熊本の美術館で見た、ミレーの本物の絵。
「晩鐘」「種子をまく人」「落穂ひろい」
それを今思い出しています。
***
ミレーの落穂ひろいは、農家の夫人が二人。
落穂は、たぶん麦。
前掛けのエプロンに入れます。
おおかた満杯になっています。
家に帰り、ひきうすで粉にして水でこねます。
かまどでパンを焼く。
数日分のパンが焼けます。
フランスのバルビゾン村の光景でしょう。
もちろん出来上がりは、フランスパン。
その村の領主は、落穂ひろいは何処の
麦畑でも拾ってよろしい。
そんなお触れが出ていたようです。
日本にも落穂ひろいをしていた時期が
ありました。
どこの国でも、食べ物を無駄にしない
時代がありました。
今は、どうでしょう。
グルメと言う時代で、食べ放題です。
食べられることが、当たり前の時代です。
もう少し、感謝するとか我慢するとか
そう言うことも、必要な気がします。
***
家人「あんた、夕飯は何にしようか
何が食べたいかね」
私「硬めのフランスパンが良いなあ
それにチーズがね」
家人「どうしたんだい、頭のねじが
ゆるんだのかねえ」
では、また明日。
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