老老夫婦の暮らしは、面白いに決まっちょる。

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築80年の古民家が、2軒だねえ。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 

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カランゴエ、ピンクの八重咲。 

 

 

誰かが、明治は遠くなりにけりと言っていた。

それは、違うよ。

 

 

家人「もう、昭和は遠くになりにけりだよ」

 

 

斜め向かいの御主人にボケが入ったと

奥さんが言った。

何をきいてもすぐに忘れる。

 

 

私「そうかなあ、朝会って話したが普通だったがねえ」

家人「ボケたり、ボケなかったり、だそうだよ」

 

 

私「ボケていない時に、会ったのかなあ」

 

 

普通、そういう状態をまだらボケと呼んでいるようだ。

ここら辺の、言葉かもしれない。

 

 

あちらさんは、2才年上。

ワシと同じ、昭和の生まれである。

 

 

ほんの最近まで、山登りのグループをお世話していた。

下り坂がいかんなあ、あとで膝にくるよ。

そう、こぼしていたのは、昔ではない。

 

 

大体において、80歳を盛りに急激に体の調子が

おかしくなってくる。

 

 

この言葉は、野菜作りの先輩が後輩を捕まえては

必ず、話していた。

 

 

忠告だったが、まだ元気な時は完全に無視していた。

 

 

あちらさんの、ボケが進行してもらいたくない。

まわりには、無病、無傷なのは誰もいなくなる。

 

 

気軽にうわさ話も、出来なくなる。

困ったものだ。

 

 

ワシのように80歳に近い高齢者になると、会話がない

ところに置かれたら、だんだんと話しをしなくなる。

 

 

いや、しなくても良くなる。

はてには、その方が気楽だと思うようになる。

 

 

静かで良いや。

そんな風になるのだろう。

 

 

現在、同じ年の家人と暮らしを共にしている。

 

 

話しのつじつまが、合わない会話が多いが

それでも、お終いには合っている。

 

 

ここんところが奇妙だね。

 

 

長年の、あれ、これ、それ、的な会話をやってきた。

これによって、「あ、うん」の呼吸が生まれたの

だろう。

 

 

古くなった。

二人共にね。

 

 

仕方がないね、と話している。

二人共生まれたのは、昭和15年。

 

 

これがどれ程古いか、自動車を例にとると

もう町にはぜんぜん、走っていない。

 

 

博物館にも、幾つもは飾っていない。

 

 

他にも、日本家屋にすれば、80年前に建てたものです。

もうこれだと、古民家だと堂々と名乗って良い。

 

 

近頃は、健康が大事だと叫ばれて、いろいろな

検査がある。

昔は、なかった。

 

 

点検や、オーバホールなんかやらなかった。

ほとんど、手入れをしないで80年経った。

 

 

そうやって、自動車とか日本家屋に例えてみると

ワシの体は、そんなにも古いのかと、少し不思議な

気がする。

 

 

しかし、「ええ、この体は80年もの前に

作られたものです」と自慢は出来ない。

 

 

なぜ?

 

 

病気を持っているからね。

その病気のことを別にすると、健康体だけどね。

 

 

家人「古民家が2軒だねえ」

 

 

娘「二つ合わせて、160年前かね」

 

 

では、また明日。

 

 

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