老老夫婦の暮らしは、面白いに決まっちょる。

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花を育てるには、修行がいるね。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 

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コップに入れた、根が出た、鉢に植えた、花が咲いた。

 

 

 

昔、野菜作りをやっていたころは、ただひたすらに

出来上がることだけを考えていた。

 

 

始めは、野菜作りの本を読み、その道の先輩に話を

聞き、お隣の育て方を盗み見をしたり。

 

 

要するに、いろいろな事を参考にして作った。

 

 

その後、20数年の経験者になると、あらゆることを

そらんじていて、鼻歌まじりで作っていた。

 

 

失敗したものは、急いで引っこ抜き知らぬ顔をする。

何食わぬ顔で、落ち着き払って再度植える。

 

 

失敗したことは、まったくなかったことにする。

それが、ベテランである。

 

 

治らない病気にかかり。

 

 

この畑の野菜作りを止めて、家の庭の片隅で遠慮深く

ほんの少し、花を育てている。

 

 

 

その花については、家人の方がベテランであるし

花壇の主であるので、山の神様と呼んで奉っている。

 

 

 

野菜作りから、一転しての花つくりは色々な事柄が違う。

 

 

 

だから、最近は昔やっていた野菜作りと、今やっている

花を育てることを、比較している自分が存在している。

 

 

 

風船唐綿と言う花に、夢中になったせいでもある。

 

 

 

野菜作りは、出来上がって食べるという命題がある。

 

 

 

一方、花を育てるのは、美しさを味あう行為だ。

目的そのものが、美しく優しい。

 

 

 

だから、ワシも優雅な立ち振る舞いにならんといかん。

だが、そこらへんは、生まれ育って以来縁がない。

 

 

 

美しさを作り出すには、審美眼が必要だと何かの本に

書いてあったが、それはとても困難はことである。

 

 

 

美しさを育てるには、美しいものを身をもって

理解しているそんな心構えが、必要ではないかと思う。

 

 

 

たとえば、竹細工の篭や、陶器や磁器のお茶碗など

作った人の魂がこもっている。

 

 

 

美しさを作り上げるのは、形、寸法だけではない。

心や、気持ちを込めると言うことだろう。

 

 

 

花を育てることも、優雅な気持ちが必要なようだ。

美しさは、美しさを味あう力がないと育たないようだ。

 

 

 

80才にもうすぐのワシは、まだまだ初心者。

花を育てる修行がいるね。

 

 

 

風船唐綿が無事に育って欲しいよ。

山の神様をアッと言わせたいね。

 

 

 

では、また明日。

 

 

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