老老夫婦の暮らしは、面白いに決まっちょる。

暮らしのこと,花や庭木,感じたこと,雑文ブログ。

柳川、四角い町。

おはようございます。
久留米のじじいであります。
 
日がたつと共に、被害が大きくなっている。
何とも言えない気持ち。
 
一日、一刻も早い復旧を祈っています。
 
 

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 風船唐綿の発芽、10個のうち5個芽が出ました。
 
 
右回りでも、左回りでも角を3回
曲がると、少し離れるが元の道に出る。
 
この街は、碁盤の目で区割ってある。
 
それに加えて、クリークと呼ばれる
掘割が、無数に走っている。
 
 
 
碁盤の目の街。
どこか京都に似ている。
 
しかし、規模は比較にならない小さな町。
 
柳川は、立花藩だったところである。
全国に城下町だった所は、多数残っている。
 
城主が善政をした、とんさん(殿様)は
今でも、市民や町民に、親しまれている。
 
柳川の立花の、とんさんもその1人だ。
 
 
 
 
クリークと言う掘割を、縦横無塵に作った。
 
表向きの答えは、城壁替わりに水で囲み
城を守った。
 
しかし、そんな一辺倒ではない。
 
クリークと言う迷路は、広大に続いている。
この利点は、第1に、鯉、鮒、ハヤ等の
食料で蛋白源。
 
次には、クリークが浅くならないように
水を干しあげて、底のどろりとした土を
田んぼにくみ上げる。
 
干して、そこの田んぼに漉き込む。
肥料になる。
 
その次には、大雨であっても
クリークがダムの
代わりになってくれる。
 
で、最後に城を守る。
水の砦になる。
 
 
 
 
柳川は、有明海に近い。
海の幸もあった。
 
豊かとまでは、行かないが
割とゆっくりとした
暮らしであったと思う。
 
歴史には、詳しくないが、百姓一揆等は
起こっていないようだ。
 
お城こそ残っていないが
静かな、城下町として残った。
 
ここの水で顔を洗い、育った。
 
 
 
 
もの心がついて、この街を一人で歩くとき
この道は、どこに続いているだろう。
 
そう思いながら、あちら、こちらを歩いた。
 
探求心は、こう言うことから始まっている。
 
学校で、我が町の歴史を習った。
職人さんが集まっているところは細工町。
 
鍛冶屋さんが集まっている鍛冶屋町。
お寺が集まっている寺町。
 
お偉い家老のお屋敷など
習ったことが懐かしい。
 
 
 
 
友達がいた。
裕福な家庭の子供だったが、温かく
付き合ってくれた。
 
育ちのなかでの嫌のことは、この友達の
おかげで、帳消しにされている。
 
しかし、今はこの思い出を
手繰り寄せたいとは、思っていない。
 
嬉しかったことに、悲しかったこと
苦しかったこと、寂しかったことが
織物になっている。
 
嬉しかったことだけを、ほどこうとしても
もつれあって、どうにもならない。
 
だから、このままでよい。
 
この町で、育ったことは感謝している。
 
 
 
 
「おにぎえ」と言う秋祭りが始まる。
 
にぎわって下さい。
 
そういう、おもてなしの言葉だろう。
 
あの、山車が出る。
あの、にぎやかなお囃子の笛、太鼓の
音は、耳にこびりついている。
 
 
 
 
いつの日か、思い出を手繰り寄せに
行くかもしれない。
 
では、また明日。
 
 
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