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絶対に100食しか出さない店。

おはようございます。
久留米じじいであります。

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「絶対に100食しか出さない店の働き方」という
ブログがありました。
 
 
ここから、将来の商売が見えそうです。
 
コンセプトは「早く帰って、ちゃんと休もう」
私たちの目標は、本当に美味しいものを
100食作って、売り切って早く帰る。

たったそれだけ。

これは「新しい商売のさきがけ」でしょうか。
儲けないといけないを、否定、暮らして
行ければよいと、見方を変える。
 
いろんな事が見えてくる。
余りが出ない。
キッチリ帰れる。
子供と遊べる。
野菜が作れる。
光熱費が減る。
 
がむしゃらに売り上げを出す。
それから、売り上げを減らそう。
 
 
 
小商いと言う言葉があります。
わずかな元手で、細々と行う商売。
いいえ、解釈の違いがあります。
 
 
わずかな元手で、細細と・・・なんと上から
目線ですね。
少しの資本で、小さく行う商売が本当でしょう。
 
 
江戸時代、いやもっと前から続いている
商売のかたちです。
 
 
何だ、ちっぽけな商売でないかい。
そうです、その通りです。がねえ。
その「ちっぽけ」が、今から先の
キーワードになります。
 
 
大きいことは良いことだと、ひと昔に騒がれました。
でも、本当に大きいことは、良いことでしょうか。
太古の時代には、大型の恐竜は、巨大なために
滅びました。
 
 
今から先、景気が悪くなるとは、言い切れませんが
景気は、横ばいと仮定したらどうでしょう。
巨大な企業は、小回りが利きません。
 
 
利益が出ない、では人手を減らそうと
いうことになりがちです。
 
 
企業の成長は、景気も上昇するという前提が
あって成り立つようです。
 
 
資源は有限でしょう。
無限にある、とは言えない時代です。
成長を続けられるかどうか、疑問です。
 
 
成長を望めないなら、細かく分け合うことです。
 
 
かって、全国の駅前商店街は、消えてしまいました。
東京や大阪の人口が多い、大都会だけにあります。
 

経済成長期に、多品目、大量販売が進められました。
このために、地方の商店街が終わりました。
この錆びれた商店街を、地元の人は自嘲気味に
シャッター通りと呼んでいます。


高齢化社会になってしまいました。
低収入で、つつましい暮らしですが
生きていくお金は、当然使っています。
 
 
大きなスーパーまでは、行くことが出来ない
というのが現状でしょう。
近くに、昔の商店街があればと考えます。
 
 
商店も、もっと小商いで維持します。
昔のままで、人が来てくれる。
そんな虫のいい話は、ありませんよね。
 
 
タイトルに近い、100個、売れればいい。
そう言う商いの、商店街になって欲しい。
そう言う形だと、実現が可能でしょう。
 
 
昔の商売のままで、復活は望めないでしょう。
商いをされる方の、意識も変わらないと。
買う人も、売る人も、新しい形を実現する。
 
 
全国各地に、朝市があるようです。
それを、もう少し工夫した常設の商い。
そう言うところからの、始まりだと思います。
 

塊より始まる、終戦後の闇市みたいに。
 
 
家人「あんたが、言うことなんぞとっくに
世間様は、ご存じだよ」
私「はいはい、そうでした、ごもっとも」
 
 
老兵は、ひっこみます。
では、また明日。
 
 
 
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