老老夫婦の暮らしは、面白いに決まっちょる。

暮らしのこと,花や庭木,感じたこと,雑文ブログ。

「アフガンの山田堰」と「筑後川の山田堰」

久留米じいじです。


孫達が、連休で帰って来た。

私「孫たちが来た、帰ってホッとした。
2度嬉しかったと、ブログにあった」


家人「うちは、3度嬉しかったよ


帰って来た事、帰ってホッとしたこと
車で無事に、東京に帰りついたことだね」

「令和」に関して大宰府のことを書いた。


妙に、自分の地域のことが、気になる。
知らないことが、いろいろあるようだ。


今からでも、遅くない、78才の手習。


家人「あんた、少し無謀じゃないかい」


私「好きこそ物の上手なれ。とブログに
書いてあった、頑張る」

 

「アフガンの地で中村哲医師」の報告
「山田堰」の知恵の切り札。
西日本新聞


こんなことでブログを書くのは
初めてだから、まとまるかどうか。


わからん。


どこから、書き出して良いか、無謀か。


筑後川中流

久留米より東の、浮羽町に山田堰がある。

 

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先人は、浮羽地区の水不足ため、筑後川
取水用の堰を、苦労して作った。


昔は、すべてが人力だった。


筑後川は、今見る私達より
大きな川で、勢いも強く見えた。


実際に、その通りであった。

後年、久留米の大水害が発生した。


上流にダムが作られ、出来上がると
おとなしい川になった。


山田堰も、その時に被害を受けて
半壊状態を復旧し、現在の姿がある。


基礎に、コンクリートが使用されるが
大部分は石組みで、昔のままである。


この取水による川には、田んぼに水を
くみ上げるための、三連水車もある。

 

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現在も活躍している。


その山田堰が、現在、アフガニスタン
治水に同じ原理で作らた。


広い耕地に、水を供給し始めた。


作り主は、日本人医師の、中村哲郎氏。
母体はペシャワール会である。


お医者さんが、治水工事の指揮をとる。


なぜ、お医者さんが治水工事の
指揮をとるのか。


当初は、医療団の一員として出かけたが
病気発生の元は、汚れた水と食料不足。


医療だけでは解決しないと、井戸を掘る
ことからスタートした。


その後、人々を苦しめているのが、
気候変動による水不足。


農業が主産業、干ばつ、砂漠化による
致命的な荒廃。


問題解決は治水。


2000年に、ペシャワール会は地域の
灌漑計画を開始した。


過去に、旧ソ連、アラブ・アメリカ連合
など多くの団体が挑戦した。


近代技術は、この激流に通用しなかった。


昔の安定した、山田堰の技術を採用した。


2000年に開始して、2016年には
9カ所の取水堰と、35キロメートルを
越える、幹線水路が出来上がる。


1万6千ヘクタール、60万人の
田畑を潤した。


特産品のオレンジの苗が、植えられた。
収穫には、数年かかるだろう。


現在も、計画は進行中である。


中村哲医師の、報告会が6月に福岡で
開催される。


現地の現状や、生々しい話が期待できる。

その話が、楽しみである。
(聞きに行きたいが、残念、行けない)


家人「医者、井戸を掘る、本の人だね」
私「当時は、井戸掘りで苦労していた」


家人「井戸より、大きいことを始めた」


私「山田堰に使われている、昔の石組みの
技術が認められた、嬉しいね」


現在、石作りは、コンクリートに変わった。


お城の石垣、石橋、石畳等、石の文化が
九州には、数多く残っている。


家人「今度は、石の話かい、ご苦労様」



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