老老夫婦の暮らしは、面白いに決まっちょる。

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「梅花の宴」の続き。菅原道真と太宰府天満宮。

久留米じいじです。


ノートルダム寺院は、残念。
木造建築とは、知らなかった。

 

私「菅原の道真さんは、901年に赴任
役職なしの左遷と書いたけどねえ」


家人「道真さんは、そこで亡くなり
のちに、大宰府天満宮が作られた」


私「どうも解せない」
家人「なにがさ」


私「役職なしだから、出社も無しだけど、
荒廃したあばら家に、閉じ込められた
不自由な暮らしと、書いてあった」


これは、左遷ではなくて島流し
刑のようだ。
さらに、大宰府政庁の監視付き。


監視の役人に、無実の罪だとか
恨んでやる、とかを何度も叫んだ。


大宰府政庁経由で都に、恨んでいると
伝わっていた。


息子たちも、別の所に島流しの刑を
受けている。
謀反、反乱を朝廷は恐れた。


罪人だから、軟禁状態で食事もなかった。


こんな話がある。


近くに住む老婆が、部屋の格子ごしに
梅の枝に挿した餅を、差し入れていた。


梅が枝餅と言う、名産の由来。


903年に亡くなっている。
わずか2年で亡くなっている。
安楽寺に弔われた。


この後、都の京都では、お公家さん達の
亡くなるのが続出した。


ここで登場するのが、陰陽師という役職。


天皇他お偉いさんには、厄から守るために
占い師が、ガードマンの役をしていた。


この人たちが、占って道真さんの恨み
祟りだと発表した。


清涼殿の落雷事件など、これ幸いと
道真さんのせいにした。


北野天満宮の雷神も、道真さんの化神と
なった。


大宰府安楽寺に、祟りが鎮まるよう
安楽寺天満宮を建立した。
これが現在の、太宰府天満宮である。


陰陽師説を言うのは、爺の発案だが
この役職は、その後も相当な期間
続いている。


これ以降、100年程の大災害は
道真さんの、祟りとされている。


私「どうだね、これで犯人像が見えるよ」
家人「あんた、そんなもんをブログに
出して良いのかい、爺のたわごとなのに」


しかし、まだ、疑問が残っている。
道真さんを、学問の神様に祭り上げたのは
誰だろう。
はっきりしたものはなくて、いつの間にか
そうなっているようだ。
背景が知りたいね。


78才の手習いは、続行中です。

 

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