御年78才夫婦の暮らしは面白いに決まっちょる。

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「令和」、梅花の宴は、曲水の宴か

久留米じいじです。
じじいの作戦。


道の駅に野菜を作って、出荷している
おじさんの話し。
ここも、競争が激しいよ。


少しでも、多く売りたいと、皆、考えて
いるからね。


野菜を人より、早く作る、または
人より遅く作るの、どちらかだなあ。


で、じじいは、後者の方をとった。
「後だし作戦」


新しい年号が決まった直後、ブログに
書こうと思った。


が、思い直した。
「令和」に対していろんな感想が
出るだろう。


ほとぼりの冷めた、今頃なら
誰か読んでくれる。
「後だし作戦」。
少し、せこいか。


 「令和」は万葉集の序文より作られた。


当時の、大宰府政庁長官、大友旅人の
屋敷で「梅花の宴」が開かれた。


32人が集まり、32首の歌が残った。


大宰府天満宮には、3月はじめに
「曲水の宴」と言う、歌会がある。


梅林のもとに、小さな水路が作られている。
水は、ゆっくりと流れる。


この岸辺の、あちらこちらに歌人が座る。


小さな舟に、歌を詠んだ短冊がのり
ゆらいゆらりと、流されてくる。


みやびやかな、歌会である。
毎年、行われている。


「令和」となった序文の「梅花の宴」は
「曲水の宴」ことではないか。


私「どうだろうね」
家人「さあ、時代が違うような気がするよ」


ネット徘徊開始。


大友の旅人さんは、720年と728年の
2回、当時の大宰府政庁に赴任している。


720年は、隼人の反乱で大将軍として
戦い鎮圧した。
728年は長官になって、再度赴任。
左遷と言う人もある。


軍人として、栄転じゃあないかな。
軍人。酒飲み。歌人


菅原の道真さんは、901年に赴任。
役職なしの左遷。大宰府浄妙院で謹慎。
こちらは、完全な左遷。


170年程の差があり。


梅花の宴=曲水の宴、この推理は
見事にノックアウト。


私「あなたの、言われる通りでした」
家人「菅原の道真さんは、そこで亡くなり
のちに、天満宮が作られた、だったね」

大友の旅人さんの時代には
天満宮は、なかったようだ。


梅花の宴は、古代中国の形式を真似た。
当時、梅は外来の花として珍重された。


平安時代に紅梅が、入ってくる以前は
皆、白梅であった。


歌の中では、雪やおしろいに例えられた。
福岡女学院大学 東茂美教授談)


梅の咲くころは、旧暦では春分立春
ころかなあ。


ところで、大友の旅人さんの屋敷は特定
されていない、候補地が3カ所ある。


騒ぎになっている、坂本神社付近は
候補の一つだそうだ。


歌の中に、鹿が泣いた小高い岡とあり。
坂本神社付近は、小高い岡。
で、決定。(物証は出てこない)

政庁跡、東の月山、お役所跡。と
政庁から南、朱雀大路の東側。の場所。
早く特定できたらいいね。


特定できないでも、3カ所を回る散歩や
ウォーキングに良さそうだ。


元気になったら、行ってみたいね。


楽しみも増えた。
いや、楽しみができた、だ。


大友の旅人さんに関していくつかの疑問。
不勉強で出来たものかもしれない。


32人衆の謎、とかね。


次回につなごう。
これも、せこい?

 

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