老老夫婦の暮らしは、面白いに決まっちょる。

暮らしのこと,花や庭木,感じたこと,雑文ブログ。

大雨だ、台風だ。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 

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バケツの水に、鳥の産毛が浮かんでいた。 

 

自然災害が多い国。

 

 

お祈りをしよう。

どうぞ、早く復興してください。

 

 

 

自然の神様が必要になつた。

神様、どうかいたずらは止めてください。

 

 

神様が、なさることだから、仕方がないよ。

諦めから諦観になり覚悟するそして悟った。

 

 

そのうえでの、暮らし方が生まれた。

 

 

建物を、石作りにしてしまえばよい。

ヨーロッパの国国みたいに。

自然を克服するには、ならなかった。

 

 

やはり、自然に添って生きよう。

ゆえに、独自の文化が生まれた。

 

 

暮らし方、考え方が生まれた。

 

 

外国に方には、これが珍しい、これが素晴らしい。

そう言うことになった。

 

 

盆栽、和太鼓、握りずし等が輸出された。

 

 

盆栽。

自然の樹木の姿を、鉢に取り込む。

 

 

初期は、大きな鉢に樹木をそのまま入れる。

 

 

技術が進歩して、小さい鉢に大きな樹木の姿を

再現する。

 

 

そこに、小宇宙が生まれる。

江戸時代に、この技術が育った。

 

 

和太鼓。

リズムセクションだけの表現力。

 

 

太鼓の音で知らせる。宗教、いくさ。

1個では、心もとない。

 

 

複数でリズムを刻む。祭り、山車。

うん、なるほど面白い。

 

 

もっと多くしたら。

リズムセクションだけでもメロディを感じる。

 

 

握り寿司。

ご飯に何かを混ぜる。

 

 

混ぜご飯、これは何処にでも存在する。

 

 

ご飯と魚を一つにまとめ、一口で食べる。

 

 

合体した美しい眺め、口に入れて素朴な味を

楽しむ。

 

 

さすがに、日本のもの。

外国では、味が足りない。

 

 

いろいろな、バリエーションが出てきた。

たとえば、ロール巻きなど。

 

 

これから先、資源は有限になってくる。

自然を開拓、征服するのは無理な話。

 

 

自然に寄り添って生活を営む。

自然を味方にする。

 

 

ヨーロッパには、運河が無数にある。

水の交通、交易の他に、遊水池の役目があった。

 

 

日本もこれから先の、大雨、台風対策で、河川の

中流から河口に近いところに巨大な遊水地を

数多く作ればと思う。

 

 

上流のダムだと、それ以上になると耐えられない。

 

 

最近は、雨も台風も大きくなっている。

 

 

休耕田や廃屋が、増えている話もある。

 

 

なんとか、これを寄せ集めて遊水地にする。

 

 

干ばつの時には、この遊水池の水を届ける。

 

 

台風の被害を見て、そう思った。

 

 

あの知事さんは、県民の顔を見て行動したのか

少し、疑問に思った。

 

 

では、また明日。

 

 

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カボスのお手柄。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 

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テレビで、嵐の祝曲が紹介されていた。 

 

大丈夫鳥は歌っている。

大丈夫空は輝いている。

大丈夫水は流れている。

大丈夫海は光っている。 

 

日本は、美しい国だと思った。

 

 

カボスのお手柄だった。

 

 

前の収穫したが、取り残しがある。

熟れて黄色になって来た。

 

 

こうなると、酸味が少ない。

 

 

料理には、使いにくい。

サンマの塩焼きも、もう少し酸っぱい

レモンやスダチが、良いと言うことになる。

 

 

こんなものはいらないね。

 

 

そう言われることは、百も承知で

みんなに伝えた。

で、二人の人が欲しいと現れた。

 

 

一人は、ジュースにして飲む。

もう一人は、ケーキやゼリーに使う。

 

 

このお二人さんに、半分分けで

あげることにした。

 

 

小さめのバケツ、それぞれに

1杯づつになった。

 

 

ジュースの方が、こんなものだけど

使えるかしらと、渋柿を持ってきた。

 

 

だいぶ、熟しかかっている。

さわると少し柔らかい。

 

 

干し柿になるかどうか。

未経験であるが、もったいない

やってみる。

 

 

家人「軟らかくて皮がむきにくいよ」

私のピラーでむくのは、お預けになった。

 

 

残念。

 

 

軒先につるす時には、しずくが落ちて来た。

 

 

ジュースの人は、帰りがけに。

いつも、お宅の前を通る。

 

 

この時期になると、干し柿が下がっている。

これをみると、秋なんだなあと思う。

 

 

子供のころは、家でも作っていた。

出来上がった干し柿は、お正月に美味しく食べた。

そう言って、帰った。

 

 

ああ、そうなんだ。

家の干し柿は、季節を知らせているんだと

妙に感心した。

 

 

渋柿の皮をむいて、軒先にさげる。

人の手が入ってできたもの、この季節だけに

出来るもの。

 

 

季節に歩調を合わせたもの。

そこに、暮らしが見える。

 

 

家人「昨日の朝、外を掃除していると

挨拶があったよ」

 

 

自転車に乗った人が、今年も干し柿だねえと

声をかけて行った。

知らない人だったがねえ。

 

 

 

背振山の山里は、干し柿をずらりと作る

ところがある。

 

 

夕日に沈む間際に、黄金色になった干し柿

美しかった。

 

 

あの家で、暮らしている人たちは

柿の皮むきに、忙しかったんだろう。

 

 

出来上がってホッとしている。

「温泉にでも行こう」

 

 

そう話しているかもね。

車の中で、そんな話をしたことがある。

 

 

熟し過ぎた干し柿は、どうか落ちませんように。

 

 

では、また明日。

 

 

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記憶が、少し解放された。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 

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 色変りの、ベコニア。本来は赤色。

 

 

近所の人より、サツマイモをいただいた。

山地でとれたもので、美味しいそうだ。

 

 

最近まで、あまり食指がわかなかった。

 

 

昔、食料のない時代は、と書くと相当な

昔になる。

あれこれ、75年ほど前の事。

 

 

戦争が終わって、一番の食糧難だった。

お米は、手に入らない。

 

 

サツマイモは常食するものだった。

食べ方もいろいろ。

 

 

家人「味噌汁に入っていたよ」

私「最後のほうは、姿が崩れてドロドロに

なっていた」

 

 

家人「芋饅頭や芋羊羹があった」

 

 

私「いきなり饅頭というのは、芋の輪切りが

そのまま餡子だったよ」

 

 

家人「栗ご飯の代用品で、芋ご飯があった」

私「ご飯が甘くなって、嫌いだった」

 

 

料理はまだいろいろとあった。

 

 

サツマイモは、翌年の春まで貯蔵されて

食べていた。

 

 

今のような貯蔵の技術はない。

せいぜい、もみ殻で被せておく程度だった。

 

 

そのために、傷ついたものや腐敗が

始まったものがあり、その部分だけを

取り除いて食べていた。

 

 

この部分の取り除き方が悪いと、食べる時に

ニガイ、きつい苦さだった。

 

 

それ以来、苦手のものになった。

 

 

この意見は、家人も同じ体験をして育った。

まったく、同感だと言う。

 

 

それが、食指がわかない理由である。

 

 

今年は、娘が時々持ってくる焼き芋が

お好みになって、好んで食べている。

 

 

芋の名前は、安納芋。

 

 

サツマイモは、ホクホクと、ねっとりがある。

安納芋は、ねっとり系。

 

 

皆さん、当の昔ご承知で書かなくて

良いのかもしれない。

 

 

しかし、女性には好まれても、男性には

いまいちの嗜好品のようだから、書き残そう。

 

 

この焼き芋は、冷凍で保存している。

時々「レンチン」して食べている。

 

 

「レンチン」なんてどうしてこんな

短縮形の言葉が、出現するのかと思う。

 

 

物が開発され尽くして、今度は言葉に及んだ。

 

 

省略形を作って手間を省く。

スマホが便利になる。

 

 

なんとまあ、お急ぎなんだろうね。

(年寄りのたわ言だ)

 

 

「レンチン」で安納芋の焼き芋が復元する。

家人とうまいと言いながら、食べている。

 

 

畑にさつま芋を植えた。

そんなに、むづかしいものではなかった。

 

 

苗を買い。

挿し木のやり方で、土に埋める。

 

 

あとは、ほとんどほったらかし。

ドンドン育つ。

 

 

横に広がりすぎると、芋が大きくならない。

広がった部分は、芋の中央に被せる。

 

 

秋には、芋としては上等の物が出来た。

しかし、味はいまいち。

 

 

畑のベテランは、サツマイモは駄目。

良く育つが、旨くない。

 

 

山里の赤土で、肥料が入らない所が良い。

そこだと、めっぽう旨い。

 

 

残念だったな、と言われた。

 

 

それで、サツマイモはあきらめた。

2度と作らない。

 

 

最近、いきなり饅頭をいただいた。

 

 

昔の物とちがって、なかに芋の輪切りと

小豆の餡子が入っていた。

 

 

これは、旨いと声が出た。

 

 

ボケが来たのとは、違うよ。

ただ、ただ、美味しかったからね。

 

 

75年も前の記憶から、少しだけど解放

されてきたようだ。

 

 

では、また明日。

 

 

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風船唐綿の苗をあげるよ。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 

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朝夕が冷えます。

 

 

 

急激に気温が下がると、体が

ついて行けない、調子が悪い。

呼吸が苦しくなる。

 

 

 

ご用心だね。

 

 

 

もっと寒くなり体が慣れると

きっと、幾分か楽になる。

 

 

そんな風に、思っている。

家人「楽観的だねえ」 

 

 

くたびれ果てた体だから

仕方がないね。

ふたりでそう言って、なぐさめている。

 

 

 

風船唐綿が、すっかり好きになった。

 

 

 

小さい花の名前がわからない時に

ブログに上げた。

 

 

 

名前を教わった。

名前は「風船唐綿」だった。

 

 

 

コメントもあった。

今では、大好きなものになった。

 

 

 

これは、近所の団地の花壇にある。

花のおかげで、団地の人たちと

知り合った。

 

 

 

風船唐棉の、風船状の実をいただき

種子が採れたし、実が付いている

枝もいただいた。

 

 

 

その枝で、ドライフラワーもどきが

出来たが、綿帽子は飛ばなかった。

 

 

 

団地の唐綿の木は、冬越しのために

刈り込まれた。

 

 

 

とうとう綿帽子は、見られなかった。

 

 

 

来年は、うちで育てよう、そう誓った。

綿帽子が飛ぶところを、見たい。

 

 

 

種子は、いただいた風船の中で

育っていて、種子取りが出来た。

 

 

 

種子取りと言っても、枯れかかった

実を破いて、取り出しただけである。

 

 

 

普通なら、春先暖かくなって種子をまく。

だが、ワシはそんなに悠長に待てない。

気短だから。

 

 

 

 

秋のうちに、種子まきをして冬越しを

しながら苗を育てる。

 

 

 

そうすれば、春の早いうちに花が

見られる。

 

 

 

風船状の実がなるのも早い。

 

 

 

夏の終わりには、風船が出来上がり

綿帽子が、飛ぶ様子が見られる。

 

 

 

頭の中は、すっかり設計図が

出来上がっている。

 

 

 

家人「大丈夫かね、好奇心も

ほどほどだよ」

 

 

私「やって見んとわからん」

いつもの、会話だ。

 

 

 

「小さくていいから温室が欲しい」

これは、さすがに言い出せなかった。

 

 

 

10月5日に種子をまいた。

 

 

 

秋だから発芽するかどうか」

心配をした。

立派に発芽した。

 

 

 

11月になって、4本を鉢上げをした。

1本をそのまま地植えにした。

 

 

 

寒さに耐えるか、様子を見ることにした。

案外、育つかもしれん。

 

 

 

家人「夢みたいな話だよ」

私「まぐれ当たりと言うこともある」

 

 

 

あと4本、発芽したものがあるが

どうしたものかねえ。

 

 

欲しい人がいるだろうか。

 

 

 

今の時期では、苗をあげるといっても

頭がおかしいと言われそう。

 

 

 

では、また明日。

 

 

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花を育てるには、修行がいるね。

おはようございます。

久留米のじじいであります。

 

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コップに入れた、根が出た、鉢に植えた、花が咲いた。

 

 

 

昔、野菜作りをやっていたころは、ただひたすらに

出来上がることだけを考えていた。

 

 

始めは、野菜作りの本を読み、その道の先輩に話を

聞き、お隣の育て方を盗み見をしたり。

 

 

要するに、いろいろな事を参考にして作った。

 

 

その後、20数年の経験者になると、あらゆることを

そらんじていて、鼻歌まじりで作っていた。

 

 

失敗したものは、急いで引っこ抜き知らぬ顔をする。

何食わぬ顔で、落ち着き払って再度植える。

 

 

失敗したことは、まったくなかったことにする。

それが、ベテランである。

 

 

治らない病気にかかり。

 

 

この畑の野菜作りを止めて、家の庭の片隅で遠慮深く

ほんの少し、花を育てている。

 

 

 

その花については、家人の方がベテランであるし

花壇の主であるので、山の神様と呼んで奉っている。

 

 

 

野菜作りから、一転しての花つくりは色々な事柄が違う。

 

 

 

だから、最近は昔やっていた野菜作りと、今やっている

花を育てることを、比較している自分が存在している。

 

 

 

風船唐綿と言う花に、夢中になったせいでもある。

 

 

 

野菜作りは、出来上がって食べるという命題がある。

 

 

 

一方、花を育てるのは、美しさを味あう行為だ。

目的そのものが、美しく優しい。

 

 

 

だから、ワシも優雅な立ち振る舞いにならんといかん。

だが、そこらへんは、生まれ育って以来縁がない。

 

 

 

美しさを作り出すには、審美眼が必要だと何かの本に

書いてあったが、それはとても困難はことである。

 

 

 

美しさを育てるには、美しいものを身をもって

理解しているそんな心構えが、必要ではないかと思う。

 

 

 

たとえば、竹細工の篭や、陶器や磁器のお茶碗など

作った人の魂がこもっている。

 

 

 

美しさを作り上げるのは、形、寸法だけではない。

心や、気持ちを込めると言うことだろう。

 

 

 

花を育てることも、優雅な気持ちが必要なようだ。

美しさは、美しさを味あう力がないと育たないようだ。

 

 

 

80才にもうすぐのワシは、まだまだ初心者。

花を育てる修行がいるね。

 

 

 

風船唐綿が無事に育って欲しいよ。

山の神様をアッと言わせたいね。

 

 

 

では、また明日。

 

 

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