新しい椅子でおもてなし。
おはようございます。
久留米のじじいであります。
新しい折りたたみの椅子が来た。
これで、破れの入った古い椅子は卒業である。
長い間、ご苦労様でした。
その椅子の購入は、娘に任せた。
私「今使っている折りたたみの椅子が壊れた」
娘「わかったよ、買って来る、今度も
折りたたみの椅子が良いね」
私「そのとおり、家の外に
持ち出せるものが良い
寒いときに、日向ぼっこが
出来るのが欲しい」
娘「ジジイくさいね、キャンプに
使えるのが良い、ときどき借りるよ」
家人「軽いものが良い」
まあ、いろいろと希望が出たが
娘にまかせた。
天気が良い日に、戸外に椅子を
持ち出して新聞を読んだり
メモを整理したりしている。
あまりにも気持ちが良くて
居眠りをする。
家の中でテレビを見たり、タブレットで
ニュースを見ているその時より
室外の椅子で、すごすことは随分と違う。
気持ちがゆったりとしている。
時計が見えない、ことだけではない。
一種の自然の中に、いるような
感じがする。
ゆったり、のんびりしている。
これが自然の時間の流れだろう。
この、新しい椅子と物置小屋の
スペースは、おしゃべりの仲間も
待ち望んでいた。
しびれをきらして、まだかえと
見にくる、ご婦人もいたよ。
年を取ると、気が短い
待ちきれんからねえ。
少し、派手な椅子だが
これでおしゃべりは
出来るようになった。
目出度し、目出度しだ。
女性はおしゃべりで、頭の中を
掃除する。
男性は何かに夢中になることで
ストレスを発散する。
まあ、例外と言うものはありだがね。
これは、神様がそのように
作られたのだろう。
この仕組みが違うのは、良くもあり
悪くもありで。
夫婦は、長い年月をかけて
すり合わせが必要だ。
この小さいおしゃべりの会は
家人経由で、地域の情報がいただける。
(ブログのネタにもなった)
世間様の様子がわかることは
暮らして行くうえで必要な事である。
一人ぼっちの暮らし。
世間から切り離された暮らしは
体に良くない。
病に直結する。
人は、他の人から良いねと言われるのは
気持ちが良い。
今の言葉で言うと、承認欲求というやつだ。
おしゃべりには、相手のあいずちが必要。
これが、いいねであり承認欲求を満たす。
おしゃべりをして、気分が良くなって
家事がうまく行く。
つれあいとも、仲良くなる。
そうあって欲しいものだね。
では、また明日。
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チラシよ、さようなら。
おはようございます。
久留米のじじいであります。
冬支度で忙しい。
新聞を変わった。
元の新聞と、新しい新聞は10月中旬から
月末まで、併行して読むことが出来た。
読み比べが出来る、そう思ったが内容は
ほとんど変わらなかった。
少し期待したが、面白いとか楽しい
ほどにはなかった。
どちらも、似たようなものだった。
11月に入って、新しい新聞だけである。
新聞の内容はさておいて、大きな
変化があった。
まあ、このことも新聞を変える原因の
ひとつなんだが。
折込のチラシがなくなった。
毎日のことだから、結構な量である。
週末ともなれば、買う意欲を誘うため
チラシの量が多い。
本紙に負けず劣らずの量である。
マンションや不動産は全く関心がない。
自前の土地、自宅である。
免許は返し、車は持たない。
従って、新車の発表も関心がない。
しかし、将来の車のニュースは関心が
大いにある。
特に、超小型の電気自動車には
興味がある。
当然、電気自動車だから、電気の補給は
自宅で出来るだろう。
ガソリンスタンドまで出向くと言う
面倒さがなくなる。
ガソリンスタンドも廃業が多い、近くには
なくなりつつある。
注目するのは、無人の運転技術がどれくらい
取り込まれるかだ。
これによって、年寄りが安心して、病院や
買い物に行ける。
運転操作を間違って、病院に車もろとも
突っ込むことはなくなる。
もっとも、相手が病院だと救急車の
必要は無くなる。
電気自動車は、バッテリーが付いて
これに蓄電された電気が災害時の大きな
助けになる。
災害時に重要なものは、電気、水
そして食糧。
電気の問題が解決したとまではゆかんが
ある程度しのげる。
安心感が大きい。
この夢の実現には、ワシには間に合わないが
考えるだけで楽しい。
しかし、この面白さは、残念だがチラシには
入ってこない。
もし、入っていれば新聞を変えなかったかと
言われると、問題はそれだけではなかった
からやはり、変更している。
あと、チラシはスーパーなどの、本日の
特売や大売出しが魅力なのだが、買い物に
行く足がない。
地元のスーパーで買い物は、済ましている。
家人は、お安くないねというのが口癖だ。
チラシに入ってくるスーパーなどが
配達無料だと、もっと年配層の購入が
増えると思うが、採算がとれないのだろう。
配達要員の地元雇用につながると思う。
その他、求人案内も関係ない。
お墓についても、共同墓地を昔購入した。
共同墓地は、掃除、草取りが必要ない。
これが、老老所帯では大いに助かっている。
ギャンブルのチラシも頻繁に入ってくる。
これは、裏が白紙の物をメモ紙に使っていた。
これがなくなったのは、残念だ。
エコロジーに寄与していたと自負していた。
しかし、チラシそのものがなくなったので
これがエコロジーとも言える。
家人「古新聞が半分ほどになって、軽くて
助かる」という。
最近は、今の若者で、新聞を読んでいる人が
1割足らずとしてあった。
読む必要性がないようだ。
娘「見るのはテレビ番組だけ、それもないでも
良いスマホで見れるから」と言う。
こうなってくると、ニュースや世の中の動きは
勝手にしてくれ、と言っているような気がする。
チラシがなくなって、すっきりしたと言える。
しかし、ワシには新聞そのものは、まだ必要。
字を読むことが、ボケ防止に役立っていると
密かに自負している。
では、また明日。
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花粉症の皆勤賞。
おはようございます。
久留米のじじいであります。
もしかして、カランゴエの花芽か?
黄砂が始まった。
花粉症である。
持病の薬を飲んでいる。
これが花粉症に効いていた。
副作用だと思うが、有難い副作用である。
このままで良いか、先生に聞いた。
薬を変えても良いが、花粉症のことは
どうなるかわからんよ。
だから、薬はそのままにしている。
ところが、今年は少し様子が違うようだ。
鼻水が出る、くしゃみが出る。
風邪を引いたか、困ったことになった。
そうではなかった。
どうやら、花粉症にようだ。
内心ほっとしている。
元気盛りと言う、30才を過ぎたころに
花粉症と言うものの存在を知った。
風邪ひきの初期のように、鼻水とくしゃみ
熱はない。
ひどいときは、目がウルウルして痒い。
重症だと、脳みそにカビが張り付いたようで
モヤモヤぼんやり。
この状態は毎年、黄砂と同時に始まって
翌年のゴールデンウィークまで続く。
原因は、セイタカアワダチソウ。
当時は、そう言われていた。
当時でいう国鉄の、線路沿いにどっさりと
生えていた。
その後、杉やヒノキの花粉。
そして、アレルギー。
なんとか我慢できる程度だった。
病院には、かからずに現在に至る。
花粉症とのお付き合いは
結婚して所帯を持った期間の
次に、長いことになる。
毎年のことだったので、皆勤賞だ。
誰も、賞状はくれないけどね。
中年になって始めた山歩きでは
杉やヒノキの木立の中を通る。
一日中、花粉を浴びているが、花粉症の
症状は出ない。
不思議だねえ。
病持ちになって、山歩きが出来ないので
その影響が、出て来たのかとも思う。
家人「花粉症が治るように、副作用が強い
薬はないものかねえ」
私「馬鹿いえ、副作用でお陀仏になる
それは、ごめんこうむる」
憂鬱であるがこの持病も、くたばるまでの
お付き合いになるだろう。
長年、患っている花粉症に、皆勤賞は
ないものかねえ。
では、また明日。
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